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ピックアップ写真館 Vol.38:1960年代 羽田空港 自衛隊連絡便 その1 ( R4D-6 )

2021/09/25 ピックアップ写真館

1960年代、羽田空港の旧ターミナル地区では多くの自衛隊機が連絡便として飛来し、見ることができました。70年代以降では殆ど無くなり、入間基地等の使用となったようですが、当時は自家用セスナ機等に離発着を含め、空港使用制限が殆ど無かった時代であり、普段見る機会の少ない自衛隊機であっても、多くの機種を真近で見ることができました。それらの機首を順に紹介していきたいと思います。その1として最初は、海上自衛隊が保有していた唯一の旅客機とも言えるR4D型輸送機(DC-3)4機を、すべて紹介します。 次に航空自衛隊でのC-46輸送機、他にも練習機(T-6等)から対潜哨戒機(P2V、S2F等)等まで、多くの機種がVIP輸送等に、この旧ターミナル地区を利用していたことを、後に紹介していきます。

ダグラスR4D-6 (MSN14643/26083)9021〔1965年頃 羽田空港〕

1944年US NAVY R4D-6 50745として製造され、1958年に海上自衛隊へ供与され、鹿屋基地、205教育航空隊で使用されていた機体です。1971年には、新設された厚木の61航空隊へ移行し、厚木で米国へ返還されています。返還後、米国籍N62428となり、1975年にはフィリッピンに売却、RP-C14として登録され、1989年頃まで飛行していました。

ダグラスR4D-6 (MSN14643/26083)9021〔1964年頃 羽田空港〕

自衛隊が使用していた旧ターミナル地区では、以前のターミナルビルは使用できない状態でしたが、このゲート跡に昔の面影が多少残っていました。

ダグラスR4D-6 (MSN14643/26083)9021〔1963年頃 羽田空港〕

海上自衛隊に供与された最初のころ(1963年頃まで)は、この米海軍機の標準塗装と同じ上面白の塗装でしたが、その後は、全機が全面グレー塗装に変更されています。

ダグラスR4D-6 (MSN14673/26124)9022〔1964年頃 羽田空港〕

1944年 US NAVY 50751として製造された機体で、1958年海上自衛隊へ供与され、1972年まで使用されました。その後米軍へ返還された後、厚木基地でN62427としてAIRCLAMS社へ売却、DC-3Cとして整備後、1975年厚木から鹿児島経由でフィリッピンへフェリーされました。その後1979年にはフィリッピン籍RP-C287となりました。

ダグラスR4D-6Q (MSN16347/33095)9023 〔1964年頃 羽田空港〕

1944年NAVY R4D-7 99824として製造され、Navigation Trainerとして使用されていた機体で、1958年に海上自衛隊へ供与されました。海上自衛隊ではR4D-6Qとして、P2Vのクルー用電子機器の機上作業練習機と使用され、後継機のYS-11Tが就役する1969年まで使用されていました。 機首や機体上下のレドームが特徴で、退役後は鹿屋航空基地の屋外展示機として、現在でも見ることができる機体です。

ダグラスR4D-6Q (MSN16347/33095)9023 〔1964年頃 羽田空港〕

海上自衛隊が使用したR4D-6型の特養では、このエンジンナセル外側に見えるエアインテークのチューブがANA DC-3等にはない違いともなっています。

ダグラスR4D-6Q (MSN16347/33095)9023〔1965年頃 羽田空港〕

通常の輸送型R4D-6は、最大28名まで乗れるベンチシート仕様ですが、この電子機器訓練用、機上作業訓練機では、小人数の移動時には通常シートとして使用できることから、も好都合であったものと想像されます。

ダグラスR4D-6 (MSN16479/33227)9024 〔〕1963年頃 羽田空港

1945年NAVY R4D-7 99839として製造され、1958年にR4D-6として海上自衛隊に供与された機体です。海自のR4D-6各型は、米軍使用機の寄せ集めであり、細かい点、アンテナ位置等では違いが目立っています。この旧塗装時の写真では、米軍使用時の状態に近く、機首上部の航法用天測窓、機首下面の大型ループアンテナ等が特徴でした。

ダグラスR4D-6 (MSN16479/33227)9024〔1967年 羽田空港〕 

日本航空機製造 YS-11M (2058)9042〔1968年 羽田空港〕

最後に、参考として、R4D-6の後継機のYS-11M、YS-11MAの4機は1971年厚木に編成された61航空隊所属となり、定期便としての羽田への運航は全く無くなりました。また、R4D-6Qの後継機としては、YS-11T 6機が下総基地205教育航空隊に配備されP-2Jのクルー訓練に使用されました。写真は、配備当初に一時的に205航空隊所属機でしたが、羽田でのYS-11の撮影の機会は少なく、特別なVIP等のみでした。