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平成29年06月23日掲載

Vol.5 : パイロットを目指す 〔その2〕 ❖
(事故を防ぐための事例等)

 

パイロットのライセンスを取った以降の課題等について、主に事故防止の観点からと私の経験等に基づき、その一部を紹介します。
なお、パイロットに対する評価として、飛行時間何万時間のベテランパイロット等が、一般的な評価基準ともされていますが、飛行時間だけではなく、毎回毎回のフライトが自分の勉強の機会であるとの意識と経験を生かすことが重要になります。

飛行機が発明されてからの最初の重大事故は空中衝突でした。100年以上過ぎて性能信頼性が格段に良くなった現在の飛行機でも、山への衝突等を含めた空中での衝突は、結果が死亡事故に繋がることから、最近の日本でも含め事故の第一位です。

英国の事故調査当局(AAIB)での統計資料等から、有視界飛行中(VFR)での空中衝突事故を起こしたパイロットは、飛行時間、ベテランパイロットのランク等とは関係なく、誰でも基本的な見張りが最も大事であるとされています。
ベテランパイロットでは、単に、それまでの長い飛行時間の経験で事故が起きなかったとの慢心から、訓練生や経験の少ないパイロットでは、操縦に余裕がない状態でも必死に基本の見張りが大事と意識するからです。
また、小型機等でパイロット有資格者が二人乗務した場合等では、一人の時よりも互いに依存する心理があり、一人の時よりも見張りが疎かになり事故率が高くなる、とのデータがあります。
パイロットを受験する際、最初は誰でも視力を気にしたかと思いますが、私が1970年代から始めた毎年の航空身体検査では、最初は一般的な視力検査でしたが、途中の90年代頃から検査基準が変わり、周辺視野付近での動態視力検査も重視されることになりました。
衝突事故でお互いの相対位置(角度)が変わらないコリジョンコースだったことが話題になっていましたが、実際に視力検査をすると視野の中心部よりも視力が落ちる周辺部の方が、かすかに動くものに気が付き易いという、自分でも気がつかない人間が持つ動物的本能(石器時代から森の中で他の動物等から生き延びる為の能力とされている)が意識できました。
また、実際の事故事例等からは、どの飛行機にも必ずある死角(窓枠や主翼、胴体等)が絡んでおり、一生懸命な見張りだけではなく、意識したクリアリングターンで死角を無くすことが重要だとされています。最初のころ、如何に変化のない一定の高度及び方位での直線飛行の維持が重要だと思っていましたが、死角を作るという点では危険な事であり、空中衝突事故を多く経験している米国(FAA)の水平直線飛行に対するパイロット試験での基準が、日本(JCAB)のそれよりも倍近い許容があることも、事故防止を重視する観点からだと思います。

 

写真は、萩原式 H-22A-3 JA0184 中級滑空機の離陸です。中級滑空機(セコンダリー)は、現在ほとんど見られなくなりましたが技能証明も必要としないグライダーで、60年代当時は大学の航空部等の訓練機として使用されていました。

 

空中衝突と同様に多いVFR飛行時での山等への衝突は、山岳地帯が多い日本での航空事故の特徴です。変わり易い気象への対処も含め、リスクを避けるという強い意志があれば誰が考えても避けられたのにと思いがちですが、このあと私が経験したこと、誰でも陥り易い事例の典型を紹介します。

A. 1970年頃でしたが、仕事が終わり舘林飛行場から調布飛行場へ戻る段となりました。舘林でのシーリングは1500feet程度、少しの雨ですが、視程は問題なし。調布もVMCで1000feet以上のシーリング、飛行は可能と、当時私が絶対的な信頼をしていたベテランパイロットの判断でもあり、貴重な経験を期待して、セスナ172に同乗することになりました。
離陸後1000feetの高度で調布に向かいましたが、関東平野での飛行の注意として、障害となる山は無くても、大きな川(利根川等)の付近では雲が発生し易くシーリングが低くなることがあり、また、その付近に高圧送電線が何本も横切っているための注意が必要と言われました。離陸10分後位からシーリングは500feetまで落ちましたが視程は良いため前方を注視していました。間もなく、赤白に塗った鉄塔(高圧送電線)が見えてきましたが、このとき高度を上げて雲中飛行になることは絶対避けること、送電線は見えないため鉄塔の中間は避け通過目標は鉄塔直上とすること等を教えてもらいました。高度500feetでは対地高度はそれ以下であり、何とか通過して調布飛行場にコンタクトする頃は何も問題なくVMCで降りることができました。

 
B. 同じ1970年頃でしたが、調布飛行場からのILS装置のテストは、殆ど名古屋空港まで飛び実施していました。機体はパイパー・チェロキー、天候晴れ、名古屋までの行きは殆ど直行ルートの箱根越え(御殿場ルート)でした。
名古屋から調布までの帰りルートもほぼ同じルート5000feetで巡航し、静岡付近までは順調でしたが、前方の箱根付近は、往路の3時間前には無かったものが、発達中の雲(CB系)がかかり、伊豆半島を迂回することになりました。
しかし伊豆半島に懸かる雲は西側海上に大きく伸びており、雲低も下がり海岸を確認しながらの海上飛行では、500feetを切るまでの低空飛行となりました。
半島先端石廊崎を廻るころは、最悪で500feetも維持できないほどでしたが、
下田付近を通過し相模湾に入った頃は、全く嘘のような天気で関東地方は晴れており、雲は半島上空を含む山岳部だけだったのが分りました。
その後、瀬戸内海の上空を飛行する機会等が度々有りましたが、視程の悪い時、海上を低空飛行したことで起こる事故を大きく知ることになりました。
 
C. 次は、特異な事例があることを、下記の写真(セスナ172L型計器盤)をベースに紹介します。

機体は172L型、関東北方でのフライト終了後、調布飛行場に戻るときのことでした。機長はベテランであり、装備もNAV/COM(KX175)、ADF(KR85)、トランスポンダとIFRも可能な問題ない機体でした。
5000feetでの飛行でしたが、下層雲が少しあり、関東平野の特徴である目標となる地形が確認できなかったことから、ADFを調布飛行場へのIFRでの進入ポイントでもある荏田NDBにセットし指示方向で帰途に就きました。
10分以上飛行したところでも見覚えのある地形の確認はできず、疑問が生じたため、現在の機体ヘッデングを左右に90度変えたところ、ADF指示は前方方向の儘で正常ではないことを確認したため、その後はロストポジション状態を横田アプローチにコンタクト、現在位置が考えられていた通常の位置よりかなりの北西方向の宇都宮付近であると知らされレーダーベクターにより、調布飛行場の8mile/1500feetまで誘導され、無事着陸できました。
途中ADFで荏田NDBのIDを聞きノイズが多かったが、ID確認は可能であったこと、また、他のNDB局、舘山NDAの大きな出力局で確認したところ、問題は発生せず、テストポジション位置による指示も正常でした。
着陸後の点検でも同様であったため、エンジンカウリングを外し確認したところ、エンジン前方下に装備してあるオルタネーター脇のキャパシターが黒く焼けており、パンク状態であったが、キャパシターを新品と交換しADF機能を確認したところ正常となった。
結論としては、キャパシターがパンクしたのは何時の時点かは確認できないが、パンクしたことによるオルタネーターから発生したノイズがNDB周波数の一部(且つ、出力の弱い局)に影響し、ノイズの発生源である機首方向を指示することで、不具合が認識されなかった問題でした。
他に、NDB周波数セット時にID等で電波状態を確認すれば、通常でないノイズ発生が確認できたかも知れないこと、ADFテストポジション(90°横位置)で指針のスタック確認はできるが、自機がノイズの発生源であるこの場合等では、実際に自機のヘッデングを変えてみて、ADF指針が追従するかで確認ができるものでした。
 
最後の写真は、スポルタビア フォルニエルRF5型 JA2127機です。日本モーターグライダークラブの所属機で1980年頃、運航費が安いことによる社会人対象の訓練機で、誰でも乗りたくなる機体でした。
 
写真・文 : N.SUZUKI
 
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