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業界人ここだけの話  ❖ Vol.7 : 航空の安全を目指すに当たって(御巣鷹山への想い) ❖

航空業界ここだけの話

1985年の御巣鷹山での日航機事故は、単独事故として世界最大の航空事故でもあり、航空業界に携わる者として、また個人的な思いからも、決して忘れられない事故でした。
その事故現場を何度も訪れることで、その都度、認識を新たにすることができました。

私が最初に事故現場、御巣鷹の尾根を訪れたのは、事故調査報告書も出され、ある程度、一時の騒ぎも一段落したと思われた、1985年の事故から6年目、1991年8月12日(遺族にとっての7回忌)からで、それから、ほぼ毎年行っています。
今年は、事故前日の8月11日に行きましたが、最初に訪れたころと比べると、途中の道路も整備され、尾根の慰霊碑までの歩く距離も半分以下になり、容易に行けるようになったことでは、格段の差があります。
但し、容易に行けることでの良し悪しもあり、当初のころは8月12日の早朝東京を車で出て(お盆の帰省渋滞とは、必ず重なり)、秩父、小鹿野町経由で上野村の中心部へ着くのが昼過ぎ、それからは、現在では舗装もされ変わりましが、途中でイノシシなどに出会ったうこともあった、でこぼこの山道を、登山道上り口の駐車場に到着するのが、午後2時過ぎごろで、ようやくでした。
登山道入り口には、上野村、黒澤村長の書いた事故の慰霊碑とも言える石碑があり、その横から、沢沿いの道を上りはじめます。 尾根の墜落現場である「昇魂之碑」までは約1時間超かかりますが、途中の半分ほどで、沢沿いの道を約30分程登ったあたりに、「すげの沢のささやき」と呼ばれる水飲み場があり、そこで休むことができました。
そこには事故後の1994年に、墜落事故の遺族で組織する航空安全国際ラリー組織委員会が建立した石碑があり、写真を付けますが、こう書かれています。

「御巣鷹の尾根登山で、私は霊感を受けました。途中、私達はいつも沢沿いに登りましたが、私には、なにか水の流れが、私達に語りかけ、登山を励ましてくれているような気がしました。そして私の願いは、あの御巣鷹の尾根で、又、他の、7つの大陸の全ての墜落現場で、亡くなられた方々への想いが、こんなことを二度と起こさせまいとする私達の努力に、いつまでも力を与えてくださることです。」  ジム バーネット

ジム バーネットさんは、事故当時のNTSB(米国運輸安全委員会)の委員長で、85年の事故当時、日本の事故調査委員会が実施した事故調査に参加して、現地調査を行うアメリカ側の責任者でした。(ICAO Annex13には、事故機の設計、製造国として、事故調査への参加の義務及び権利が規定されています。)
この言葉は、1987年6月に日本の事故調査委員会から正式の航空事故調査報告書が公表された後、1982年から88年までNTSBの委員長を務めたバーネットさんが、その後に遺族会等(航空安全国際ラリー組織委員会)から東京へ招かれ講演を行った際に、話された言葉でした。 なお、この石碑(すげの沢のささやき)は、現在の登山口(駐車場)からは、歩いてすぐのところにありますが、以前の登山口 (黒澤上野村村長が設立した石碑の脇)からだと、川沿いの急な山道を、もくもくと歩き続けて約30分、ようやく御巣鷹の尾根に近づいてきたと思うあたりで、このバーネットさんの碑文の印象も、実感できるものでした。
バーネットさんは、2010年62歳で亡くなっており、以前の登山道入り口にある石碑を建てた前上野村村長の黒澤丈夫氏(戦中の零戦パイロットで、1965年から2005年までの上野村村長、全国町村会会長も務めた)も2011年97歳で亡くなっています。

ここで、当該碑も含め、御巣鷹で撮影した写真を少し紹介します。


左上 : 登山を始めてすぐのところのある「すげの沢のささやき」
左下 : 御巣鷹の尾根「昇魂之碑」今年8月11日の様子です。
右 : 「すげの沢のささやき」石碑にあるバーネットさんの原文


「昇魂之碑」から見た、事故機が最初にかすめた手前の尾根付近です。
一度8月でなく、秋の10月に登った時のもので、10月ごろの登山もお勧めします。

最初のころの登山は、命日の8月12日午後に登ると、出会う人も今よりはるかに少なく、尾根の「昇魂の碑」の回りで自分だけで想いをはす等のことが可能でした。
「昇魂の碑」のすぐ上に「墜落地点を示す碑」があり、その近くに遺族が「思い出の品」等を納める小さな小屋があります。その中で、遺族の方の、個々の想いの品々等を見たり、読み返したり等をしていましたが、最も印象深かったのは、遺族会(8.12連絡会)が略毎年発刊し(多分、当日の朝納められた)真新しい、「茜雲」という遺族の手記を集めた文集でした。 そこでは、私の個人的な友人への思いを含め、この事故に絡んだ多くの人へ、何かできることがあればと思いを深めることが、私にとっての登山の目的でした。


文 : N.SUZUKI

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