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Vol.8 : 日本国内で活躍したDC-3〔PART.1〕

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平成29年05月18日掲載

Vol.8 : 日本国内で活躍した DC-3〔PART.1〕


現在、日本で半世紀(50年)程前から見ることができなかったDC-3、ブライトリング社のワールドツアーDC-3(HB-IRJ)が日本各地を廻っており、見た人も多いと思います。

日本が戦後、航空を再開した昭和28年(1953)当時から日本国内ローカル線等の主力機として、延べ18機が日ペリ航空、極東航空(後の全日空)、北日本航空(後の日本国内航空)等で運航され、戦後の日本で、現在の航空界の繁栄の基礎を築いた機体です。
より大型機のみを使用した日本航空を除き、全日空設立時(1958年)時の主力機は、DC-3が9機、他はヘロン3機、ダブ3機等でした。乗る機会は無かったものの、全日空がDC-3最後のころに運航していた、羽田―仙台―三沢―札幌の各駅停車とも言える路線があり、当時主力路線が既にバイカウント、フレンドシップ、コンベア機と与圧キャビン機になっていても、このDC-3で10,000ft以下の低高度をのんびりと旅をするのが私の夢でした。

DC-3シリーズは、ダグラス社が1935年に初飛行させたDST型が最初で、36年から当時のアメリカン航空、TWA、イースタン航空などが競って導入、1939年までに600機以上が生産され、さらに第二次大戦が始まってからは、軍用輸送機としたC-47シリーズが1945年までに10.000機以上生産されました。
さらに日本でも、日本海軍が零式輸送機(L2D2)として採用、ダグラス社からのライセンス生産DC-3として当時の昭和飛行機等が、1945年(昭和20年)までに400機以上が生産され使用されています。

今回、日本国内で活躍した DC-3 を〔PART.1〕と〔PART.2〕の2回に分けてご紹介をいたします。

 
DC-3C msn13510 全日空 JA5025〔1964年 羽田空港〕
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製造時は、C-47A AF42-93582、その後フィリッピン( PI-C55 )で使用されていたものを1956年伊藤忠航空が購入、当初極東航空(日向)、その後全日空が使用していた。なお、61年に高松での事故後の修理時に後部ドアを貨物用の大型ドアに改造し、その後は主に貨物機として使用。1966年9月にフィリッピン(PI-C649)に売却。

文・写真 : 鈴木 宣勝


   
DC-3 msn 1553 航空局(飛行検査機ちよだ)JA5100
〔1966年及び1964年2月 羽田空港〕
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1936年10月製造DC-3-178 NC16015 としてAmerican Air Linesに引渡され、当時のアメリカン航空のPOST CARD(NYラガ・デイーア空港)にもなっていた機体である。その後、1955年2月 Bonanza AL N492として引き渡され、ボナンザ航空の基礎を築いた10機のDC-3の初号機でもあった。戦後日本が購入したDC-3(JA No)では、製造が最も古い機体であり、1961年に購入、航空局飛行検査機としての改修後、1962年から1970年まで、飛行検査機「ちよだ」として運用された。
   

DC-3A msn 2217
日本国内航空 JA5015〔1965年 羽田空港〕

DC-3C msn4247 伊藤忠航空(全日空)JA5019
〔1966年 羽田空港〕
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北日本航空が1955年5月に購入、その後64年4月に日本国内航空(JDA)となった直後の65年6月に、写真のフィリッピンのサウウザン・エアラインズに売却された。写真は、売却直前の塗装で、SOUTHERN AIR LINES PI-C716とJA5015が併記されている。製造は1940年6月 DST-217B型 アメリカン航空NC25686。その後、米軍C-49E 42-56106で、戦後、日本に最初に入ったDC-3だった。なお、DSTとはDC-3シリーズで Douglas Sleeper Transport(DST)の略である。16席の寝台専用機(上方に小窓付き)で、24席の Day use にも変更可能となっていた。

1955年12月に関谷産業が購入、日ペリ航空(全日空)2機目のDC-3であったが(初号機は、JA5018であったが60.3月名古屋空港でF-86Dとの衝突事故で失われた)。この機体が1964年3月のDC-3定期旅客便の最終飛行を飾った機体となった。製造は1942年3月 C-47-DL 41 7760、その後NC17186 PSA航空等で使用。全日空の後は、中日本航空がリース、その後65.04に伊藤忠航空輸送が購入、68.10.まで使用した。なお、写真は、1966年富士山上空でのBOAC乱気流事故の後、客室窓部に測定装置を付け、乱気流調査に使用したときのもので、登録抹消後は水戸偕楽園に展示されていた。

 
DC-3C msn13194 JA5024
全日空〔1965年 羽田空港〕

DC-3C msn4436 全日空 JA5080
〔1963年 羽田空港〕

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1956年伊藤忠が購入、極東航空(大和)の初号機であった。製造は C-47A  AF42-93298、その後フィリッピン航空( PI-C41 )で使用されていたもので、全日空が1966年まで使用した。引退後は琵琶湖畔のホテルに展示されていた。

1961年全日空が購入した貨物専用機で、製造は1942年 R4D-1 01980。1965年にアルフレッドハウゼ楽団の楽器を輸送中、愛知県知多半島付近で行方不明となり、大捜索でも発見できず当時の新聞を賑わかした機体。結果的には約2年後、行方不明地点から大分離れた南アルプス山中(約標高2300m)付近で見つかった(操縦士2名死亡)経緯がある。

 
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