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Vol.9 : 日本国内で活躍したDC-3〔PART.2〕

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平成29年06月15日掲載

Vol.9 : 日本国内で活躍した DC-3〔PART.2〕


現在、日本で半世紀(50年)程前から見ることができなかったDC-3、ブライトリング社のワールドツアーDC-3(HB-IRJ)が日本各地を廻っており、見た人も多いと思います。

日本が戦後、航空を再開した昭和28年(1953)当時から日本国内ローカル線等の主力機として、延べ18機が日ペリ航空、極東航空(後の全日空)、北日本航空(後の日本国内航空)等で運航され、戦後の日本で、現在の航空界の繁栄の基礎を築いた機体です。
より大型機のみを使用した日本航空を除き、全日空設立時(1958年)時の主力機は、DC-3が9機、他はヘロン3機、ダブ3機等でした。乗る機会は無かったものの、全日空がDC-3最後のころに運航していた、羽田―仙台―三沢―札幌の各駅停車とも言える路線があり、当時主力路線が既にバイカウント、フレンドシップ、コンベア機と与圧キャビン機になっていても、このDC-3で10,000ft以下の低高度をのんびりと旅をするのが私の夢でした。

DC-3シリーズは、ダグラス社が1935年に初飛行させたDST型が最初で、36年から当時のアメリカン航空、TWA、イースタン航空などが競って導入、1939年までに600機以上が生産され、さらに第二次大戦が始まってからは、軍用輸送機としたC-47シリーズが1945年までに10.000機以上生産されました。
さらに日本でも、日本海軍が零式輸送機(L2D2)として採用、ダグラス社からのライセンス生産DC-3として当時の昭和飛行機等が、1945年(昭和20年)までに400機以上が生産され使用されています。

今回は、先月の前半〔PART.1〕に続き、後半の〔PART.2〕をご紹介いたします。

文・写真 : 鈴木 宣勝
 
DC-3C msn6173 全日空 JA5078〔1964年 羽田空港〕
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1943年C-47-DL 41-38714として製造、その後TWA、UA等で活躍。1961年にANAが購入し使用していたが、1965年からは伊藤忠航空で使用された。2枚の写真は、1970年に登録抹消後、東武百貨店が機体を売りに出し、栃木県の小山遊園地が落札したことで、展示するため夜間の運び出しに備えているところである。

 

DC-3A msn11729 中日本航空
(JA5050(〔1964年 大阪伊丹空港〕

DC-3A msn2185 大韓航空
HL2005(JA5077(〔962年頃 羽田空港〕
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製造は1943年 C-53D-DO 42-68802 その後ウエスタン航空N49554。1958年全日空が購入し使用していたが、1963年から中日本航空へ1965年台湾へ売却された。(B-1531)

1940年DC-3A-269B Northwest Orient NC25610 Bonaza AL N491を経て1961年、全日空がJA5077 として購入使用していた。1962年ごろ、一時的にKorean Air Linesへリースされ、写真は、KAL HL2005当時のものである。

 
DC-3C msn 1996 長崎航空 JA5027〔1968年 羽田空港〕 伊藤忠航空〔1968年 羽田空港〕
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1937年製造時は、DC-3-201 Eastern AL NC18120(その後 C-49G 42-56635)として活躍した後、1956年 日本ヘリコプター輸送が購入した。その後、全日空、長崎航空、伊藤忠と1970年に末梢されるまで、日本で最も長く飛んでいた機体であり、長崎航空は、DC-3を日本で最後まで(67.11)定期旅客便として運行していた会社である。また、伊藤忠航空では、羽田空港ではとバスと提携し、東京上空遊覧飛行などにも使用していた。

 
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