AIRDO FDA 八重洲出版 やまだいち 青島文化教材社
AIC航空写真館
航空ファンの世界 トップページへ AIC航空写真館 トップページ 航空ファンの世界 トップページへ ピックアップ写真館 航空ファンの世界 トップページへ

Vol.16 : 大型旅客ヘリコプター時代の幕開け(エアバスとしての期待感)

メニュー
 ●初号機、原型機、プロトタイプのご紹介 ●ピックアップ写真館 
 ●1960年代 ●1970年代 ●1980年代 ●1990年代 ●2000年代 ●2010年代
 
※各写真をクリックすると拡大します。
ピックアップ写真館
平成29年12月28日掲載

Vol.16 : 大型旅客ヘリコプター時代の幕開け(エアバスとしての期待感)


文・写真 : 鈴木 宣勝

 

 1960年代から70年代にかけて、世界的に大型旅客ヘリコプターによる旅客輸送が開始され、日本の機体メーカー、川崎及び三菱も大型旅客ヘリコプター、バートル107、シコルスキーS-61のライセンス生産の契約を結び、国産を始めた時期がありました。
 飛行場がない場所でも定期バス並みの運航ができるとのことから、関汽エアーラインズが1963年から65年頃にかけ、川崎バートルKV-107による大分―別府―阿蘇―熊本間、羽田―伊東―大島間を運行し、西日本空輸も1965年頃から三菱シコルスキーS-61Nで福岡―壱岐、対馬間の運航を始めています。 
海外ではNew York Airways、SFO Helicopter Airlines等がBV-107、S-61等で空港-市内間等の輸送を頻繁に行っていました。
 しかしながらブームは一時的なもので、エアバスとしてのイメージも、その後フランスのエアバス社が設立され、大小の飛行機による手軽な輸送のイメージに代わったことで、ヘリコプターによる定期運行は普及せず、運航コストの面からも、離島等、特殊な目的に限られました。 
結果的には、日本では、ライセンス生産を開始した川崎KV-107の民間旅客型は、初期のノックダウン機を含め9機、三菱の旅客型S-61Lは2機のみ製造されただけでしたが、KV-107シリーズは日本の3自衛隊及び輸出向けで160機余り、三菱シコルスキーS-61も海上自衛隊向け(HSS-2)等で180機余りが製造されたことで、民間旅客型以外ではなじみのある機体となりました。

 
シコルスキー S-61N MkⅡ c/n61475 JA9513 全日空
〔1973年頃 小名浜港付近〕
ピックアップ写真館
1972年から1976年頃までANAが使用していたS-61Nで、洋上の石油開発基地(オイルリグ)との間の人員輸送の定期便に使用していました。
写真は福島県いわき市、小名浜港近くの造成地から、常磐沖のオイルリグとの間を往復していた時のもので、この後はノルウエーへ売却(LN-OSZ)されました。
 
 
川崎バートルKV-107Ⅱ-2 c/n4004 関汽エアーラインズ JA9503
〔1964年 羽田空港〕
川崎バートルKV-107Ⅱ-2 c/n4004 川崎航空機工業 JA9503
〔1966年頃 厚木基地〕
ピックアップ写真館 ピックアップ写真館

ボーイング・バートルBV-107Ⅱc/n105のノックダウンキットによる川崎組み立ての4号機(4004)で、1965年頃の短期間でしたが、25人乗りの大型ヘリコプターとして、羽田をベースに羽田―伊藤―大島の不定期路線として運航しました。

66年3月、関汽エアーラインズがコミューター事業から撤退した後に、川崎航空機(エアーリフト)が日飛杉田工場から、整備のためのA-4型機の輸送請負を行ったときのものです。また、この機体は1967年公開された映画「007は2度死ぬ」で、阿蘇山でロケされた、ボンドカーの吊り下げシーンなどにも使用されており、多様な使用方では忘れられない機体でした。

 

川崎バートルKV-107Ⅱ c/n4014 エアーリフト JA9508 
〔1975年 京都市淀川〕

シコルスキーS-61N msn61-222 N307Y SFO Helicopter Airlines
〔1973年 SFO空港 〕
ピックアップ写真館 ピックアップ写真館

写真は、1975年頃、時の田中首相一行が京都で選挙遊説を行った際にチャーターしたときのもので、淀川の河川敷で撮影しました。子供が遊んでいてのどかな風景ですが、その直後に首相が到着、バートルに乗り込みましたが、今では考えられないのどかさです。なお、バートルの民間型は自衛隊向け、米軍CH-46型等は異なり、胴体後部のランプ型ドアの装備はなく、写真の後方へ引き出した状態として確認できる、荷物室となっています。物輸目的のときは、軽くするため荷物室は取り外されます。

サンフランシスコ・ヘリコプターエアラインズは当時、サンフランシスコ湾対岸のオークランド国際空港との間にS-61型4機を使用して、頻繁なシャトル便の運航を実施していました。東の二ユーヨークでは、New York Airwaysが最大BV-107を8機、S-61を7機等使用して、JFK空港と市内ダウンタウン(PAAビル屋上)等の運航を大々的に行っており、大型ヘリコプターによる輸送が華やかな時代でした。

 

シコルスキーS-61N msn61-223 N317Y SFO Helicopter Airlines
〔1974年 SFO空港〕

シコルスキーS-61N msn61-224 N4606G SFO Helicopter Airlines
〔1974年 SFO空港〕
ピックアップ写真館 ピックアップ写真館

1963年三菱シコルスキーS-61N s/nM61-003として、日本の三菱でノックダウン生産されたJA9507で、1968年頃まで西日本空輸が福岡―壱岐―対馬の不定期旅客輸送に使用していた機体でした。その後シコルスキー社へ戻され、シコルスキーS-61N 61-223としてSFOヘリコプターでは1976年まで使用されていましたが、英国 British Airways Helicoptersへ売却されました。

前項、前々項機を含めたSan Francisco And Oakland Helicopter Airlines(正規名称)のこの3機(連番)は、すべて76年ごろ英国へ売却され、定期旅客便とは異なりますが、北海油田オイルリグへの輸送作業に、28人乗りの輸送ヘリとして、2006年頃まではG-BEJL(CHC Helicopter)、EI-BPK(Ireland)等で使用されています。

 
PAGE TOP ▲