業界人ここだけの話 Vol.4 : パイロットを目指す
自家用操縦士の免許を取得
私自身、1975年に自家用のパイロットライセンスを取得(Private No64xx)したことから、自分の経験を少しでも紹介することで、お役に立てればと思い整理しました。
職業パイロットを目指す場合でも、最初は自家用操縦士の免許(限定、陸上単発機等)を取得、その後一部のパイロットが職業として給料を得るためには必要となる限定拡張訓練等(陸上多発及び計器飛行等)を行い、事業用操縦士(Commercial)の免許を取ります。
エアライン以外の航空機使用事業会社等のパイロットでは、更に限定拡張としての教育証明等を取り、飛行学校部門等の操縦教官業等を行うことも一般的です。
自家用操縦士だけのライセンスであっても、自家用機(社用機、県の防災ヘリ、更に海上保安庁機等も含め)の運航であれば、法的には、問題はありません。
特定の大型機等、ライセンス上の限定拡張を行だけでも法的には可能で、以前、当時のダグラス社DC-8の主任テストパイロットは、自家用ライセンス所有だけだったと聞いたこともありました。車の免許の場合、バスのように人を乗せる等の運送事業を目的とした場合、二種免許の取得が必要となりますが、同様の考え方です。
私自身、職業パイロットになりたいと思ったことは有りません(学生時代から受験資格に影響する多少の近眼であったことも要因ですが)が、飛行機が好きで飛ぶことに興味があったこと、航空機検査官としてテストフライトに同乗する機会があり飛行の楽しさ難しさを数多く経験したこと、更に多少言い訳にもなりますが、仕事上の寄与もあると思い、八尾の飛行学校に入り国内ライセンスを取得しました。
取得後の技量維持、ペーパーライセンサーにならないため、八尾、桶川等の飛行クラブ(ライセンサー対象の飛行学校)へ入りました。飛行機チャーターによるソロフライトでの維持には、その後、私の入った桶川のクラブ等では、3カ月飛行間隔が開くと、技量確認のため教官同乗のフライトが要求されるため、クラブの年会費、1年毎の航空身体証明の更新費用等(第2種)を含め、年間出費、維持費は最小限でも結構費用はかかります。
2007年に自動車を運転中、軽い追突事故の後めまいを感じ、総合病院の耳鼻課(先生は航空バーティゴの専門家でした)の検査で、軽度の耳石症と診断されました。このことがきっかけで、32年続いた航空身体検査の更新等、年齢も考慮し、すべてを止めました。なお、耳石症(良性発作性頭位めまい症)とは、平衡感覚を司る耳の三半器官内にある耳石の一部が剝れ、内部のリンパ液の流れを阻害することから起こるもので、加齢により生じ易くなりますが、年齢だけでなく頭部への衝撃等でも起こり得ることが、女子サッカー選手の話題等でも、知られる様になりました。
飛行機が好きで飛ぶことに魅せられてパイロットを目指したい、そのきっかけ及び目的等は人さまざまでしょうが、理由よりも、私が経験したことを、写真(資料1~3)で少し紹介します。
資料1
1968年、私が初めて乗ったジェット機(DC-8)からの、地上風景です。北海道、函館付近ですが、五稜郭等、地図での知識しかなかったものが、同じ景色を見て感激した一瞬です。 多くの航空フアン等が、数多く経験していると思います。
資料2
小型機で雄大な自然(雲)を相手に何とか苦労して雲上へ出られたときの達成感。装備及び性能の良い最近の機体では考えられないと思いますが、当時(写真の機体は、1970年頃 PC-6 レシプロ単発機)は、管制、誘導等とは無縁で、パイロットの経験等が最も必要とされる飛行でした。
資料3
飛行そのもの、操縦することの楽しみで、機体はセスナ150J型、スピン中の計器盤です。計器指示からも、エンジンはアイドル(700rpm)、高度は3800ft、速度は65mph指示、昇降計はマイナス2000ft以上の降下、旋回計振り切れ、姿勢指示器は示さず、滑り計及び風防からの景色も、機体はほぼ垂直に近い状態で旋転中であることが分ります。その後の1980年頃、スピン操作がアクロバット飛行扱いに変更されたことで、飛行エリアとパラシュートが義務づけられたこと、スピン可能の機体も数少なくなったことで、スピンを経験していないパイロットも多くなったと聞いています。私がライセンス取得直後のころ、ロール、ループ等の飛行を経験する際に、先ず最初に行ったことは、左右からのスピン及びその回復の操作を経験することで操縦感覚の自信を付け、その後の思い切った操作が可能となったことが、懐かしく思い出されます。
■文 : N.SUZUKI