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AIC航空写真館


ピックアップ写真館 Vol.02 : 東京オリンピック

2021/08/20 ピックアップ写真館

1964年は私の学生時代、都内は聖火リレーで賑わっていましたが、開会式当日の10月10日は晴天の羽田に撮影に行き、普段見ることのない機体の撮り放題でした。午後からは会場近くの新宿駅へ行き、開会式のブルーインパルスの五輪マークと、その後のフライパスを見ることができました。ヨーロッパやアメリカからは遠いところで開催される初めてのオリンピックで、1964年当時の航空界は、プロペラ機からジェット機に変わりつつある時期でもあり、多種多様な飛行機が羽田へ集結しました。駐機場は一杯で、現在の環状八号線正面のB滑走路誘導路も閉鎖して駐機場としていました。

東京オリンピック飛来機について、少し背景等の説明をしたいと思います。
1964年の東京オリンピック当時は、国際線のジェット化がほぼ進み、国内線はプロペラ機という状況でした。第一世代のジェット機といわれる、ボーイング707とダグラスDC-8が主(当時JALのジェットはDC-8が10機、CV880が8機のみ)でした。世界的には極東の僻地東京で開かれるオリンピックに行くための当時の航空界の状況は、現在の大量輸送時代、どんなものでも飛行機で運べる時代とは大きく異なっています。選手団等はジェットの定期便が使えても、大量の観客のチャーター便に対応できたのは、当時ジェット化により大手エアラインが処分した少し前の主力機、ダグラスDC-6,DC-7、ロッキード・スーパーコニー等でした。特別な貨物の輸送でも、現在のようにボーンイング747の貨物機があればほとんど輸送可能ですが、あらゆる種類の貨物機等が動員されていました。

参考に、東京オリンピック後の、冬季オリンピックを開催したフランスのグルノーブルオリンピックのキャンペーンに使用したエアフランスのボーンイング707を紹介します。主翼付け根に見えるのは、自分の機体用のスペアーエンジンで、定期便等が出先でエンジン交換等の必要が生じたときに貨物機等の手段がなく、5th Enjine Pod を利用していた例です。

文・写真 : 鈴木 宣勝

Vol.2 : 東京オリンピック

最初はオリンピックの定番とも言える聖火空輸特別機、YS-11型 JA8612です。この年初の国産旅客機の型式証明が8月に降りたため、全日空が急遽リースし、国内分の聖火輸送用に使用しました。写真は1964年9月に羽田空港にて撮影。

Vol.2 : 東京オリンピック

10月10日、開会式当日のブルーインパルスによる五輪とその後のパス。

Vol.2 : 東京オリンピック

ATL-98 カーベア : DC-4を改造した貨物機で、羽田へは競技用のカヌーを運んできたと言われている。

Vol.2 : 東京オリンピック

IL-18 : ブルガリア航空(ブルガリア)

Vol.2 : 東京オリンピック

ブリタニア312 : ブリテッシュ航空(英国)

Vol.2 : 東京オリンピック

DC-6B : TSA (トランスエア・スエーデン)

Vol.2 : 東京オリンピック

DC-6B : エアノーチック航空(フランス)

Vol.2 : 東京オリンピック

C-118 : イタリア空軍(SM-6)

Vol.2 : 東京オリンピック

DC-6B : カーエア航空(フィンランド)

Vol.2 : 東京オリンピック

L-749 : エアロトランスポート・リオ(AER)アルゼンチンの貨物航空会社で競技用の馬を運んできた。