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AIC航空写真館


ピックアップ写真館 Vol.42:ダグラスDC-8-62( JAL DC-8 Super 62 )

2021/09/29 ピックアップ写真館

JALが1968年から1972年までの間に貨物型を含め15機を導入したDC-8-62型は、国際線の本格的な超長距離用機として導入され、後継機の747、DC-10、767型等の導入以降でも、比較的使いやすい機体として1988年頃まで長く使用された機体でした。
導入は、前回に紹介したJAL DC-8-61よりも1年ほど早い1968年で、Super 60シリーズ機としての最終発注機JA8051(Line no 550)からJA8056(Line no555)の5機がダグラスDC-8シリーズのラストオーダーと言われた程でしたが、その後、ダグラス社はSASからのDC-8-63F(Line no556)の1機を追加受注し、そちらが最終生産機となりました。 
JALが購入したDC-8-62の15機の全ては新規製造機であり、DC-8-61型の導入機23機の内訳にイースタン航空からの中古機の購入が9機、短期リース機5機が含まれていたことからも、JALがDC-8-62型には並々ならぬ思い入れがあったと思われます。
JALのDC-8-62型及びDC-8-61型の最終フライトは、共に1988年1月で、その後すべて海外へ売却されました。 日本での航空法の現在の騒音規制(Stage 3)が適用されたからで、海外のエアラインでの-60シリーズ型は、エンジンをハイバイパス比エンジンに換装したDC-8-70シリーズ機、又はエンジンナセルのみを改修(Quiet nacelle)したハッシュキット装備のDC-8-60シリーズ機で2000年代以降も数多く使用されていましたが、JALはB-767機等の導入による機種変更で対応した結果でした。

ダグラスDC-8-62 45953/348 JA8031(AWAJI) JAL〔1985年 成田空港〕

1968年4月、初のDC-8-62(60シリーズ初号機)として導入され、JALのDC-8各型中1988年1月までで、最も長く使用された機体でした。

ダグラスDC-8-62 45954/362 JA8032 SHIGA JAL〔1968年 羽田空港〕

1968年5月に導入1983年3月に売却しましたが、導入直後の1968.11.22日、サンフランシスコ空港へのILSアプローチ中、滑走路手前5kmのサンフランシスコ湾上に不時着水、原因はAPの不慣れな操作ミスでしたが、搭乗者107名全員無事、機体もその後海中から引き揚げUAで修理後、翌年の3月にはJALへ引き渡され復帰しました(愛称はHIDAKAに替えた)。 写真は、1968年9月、最初の引き渡し直後で、JALその後の鶴丸塗装機では記入されなくなった、機首の愛称名及びDC-8 SUPER-62の文字が目立っています。

ダグラスDC-8-62 45955/365 JA8033 AMAKUSA JAL〔1968年 羽田空港〕

1968年6月導入1984年1月に売却、この機体が有名なのは、1977年に起きたバングラデッシュでのダッカ日航機ハイジャック事件の当該機で、日本政府を揺るがし、その後のすほどの大事件でした。

ダグラスDC-8-62 45955/365 JA8033 JAL〔1972年頃 羽田空港〕

前項の機体で、JALの新塗装(鶴丸)に変更された以降です。売却された後では、カーゴ機DC-8-62CFに改修され、ATI(N21CX)で2000年以降も横田で見ることができた機体でした。

ダグラスDC-8-62 46023/407 JA8035 JAL〔1975年 成田空港〕

1968年導入1988年まで使用されました。JALが売却後はフレーターDC-8-62(F)に改修、ATI(N731PL)、Iberia Cargo(EC-EMD)、TACS(9Q-CJH)で、2008年以降も使用された記録があります。

ダグラスDC-8-62AF 46022/417 JA8036 WAKASA JAL〔1969年 羽田空港〕

1968年12月JALが購入したDC-8-62型 の6番機ですが、最初の貨物型(DC-8-62AF型)です。極く初期の頃だけですが、胴体後方に「COURIER JET TRADER」の文字が記入されていました。JALはDC-8-62型の最終購入機を含め5機の-62AF型を購入しています。ダグラス社で製造したDC-8-62AF(貨物機)は6機のみでしたが、JAL売却機を含めその後に改造された貨物型及び貨客混載型(コンビ -62CF)は、数が多く需要がありました。

ダグラスDC-8-62AF 46022/417 JA8036 JAA〔1975年 成田空港〕

JALは、1988年売却前の1975年から日本アジア航空(JAA)との共同運航機となり、JALマークを落とした塗装に変更していました。なお、売却後はエバーグリーン航空(N817EV)等で、2011年頃まで飛行していました。

ダグラスDC-8-62 46024/428 JA8037 YASHIMA JAL〔1969年 福岡空港〕

1969年1月購入1985年まで使用した機体です。売却直後に貨物型(-62F)に改造され、Zantop (N815ZA)、Emery Worldwide(N995CF)等で使用され、2015年頃までの使用記録があります。

ダグラスDC-8-62 46024/428 JA8037 JAL〔1976年頃 羽田空港〕

前記の機体の新塗装変更後で、羽田の旧滑走路(R/W 33R)からの離陸を京浜島からの撮影したものです。

ダグラスDC-8-62H 46161/552 JA8053 JAL〔1975年 成田空港〕

JALが購入したDC-8-62型の最後の3機(JA8051~JA8053)は、最大離陸重量を標準の335,000lbから350,000lbに、エンジンもJT3D-3BからJT3D-7のパワーアップ型装備(混用も可)でした。DC-8-62H型は通称名で、ハイレンジ仕様となっていました。なお、DC-8-62F型の最終3機(JA8054~JA8056)も同様です。1971年から1987年までJALが使用、売却後はATI (N730PL)等で使用されました。