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AIC航空写真館


ピックアップ写真館 Vol.27 : コンベア880 日本航空使用機

2021/09/14 ピックアップ写真館

JALはConvair CV-880-22M型を、1961年9月から初のジェット便として羽田-札幌線に就航させ、国内線初のジェット化として記念すべき機種でした。
CV-880は、1958年1959年から既に就航していたボーイング707、ダグラスDC-8に対抗し、General Dynamic社Convair部門が世界最速の旅客機として開発、1959年から1962年までの3年間で計65機が生産されただけでした。JALはJA8021からJA8028までの8機を購入、その後JDAが購入したJA8030機も訓練機として計9機を使用していました。特徴の性能面はさておき、操縦性、整備面とも課題が多く、JALは1970年までの短期間の使用でしたが、私にとっては、そのスマートな形態、最もジェット機らしい飛行機として思い出の多い機体であり、全機を順に紹介したいと思います。写真を撮り始めた学生時代、横田基地でも戦闘機に交じってJALのCV-880等もT&G訓練等で馴染みだったこと、また、羽田に就職して間もない時JA8030機が事故を起こし、炎上中の現場に駆け付けたものの、なすすべが無かったことに対する強烈な印象は、その後、私自身の仕事に対する思い入れの原点の一つともなっています。

コンベア880-22M  cn 22-7-5-57 JA8021「SAKURA」JAL〔1967.7 羽田空港〕

JALが61年7月最初に受領した機体で、且つ、1970年10月 JAL CV-880便としてのラストフライトを行った機体でした。1971年までには残っていたCV-880の全機(3機の事故機を除く)が売却され、この機体も米国へ売却(N5865)されています。

コンベア880-22M  cn 22-7-6-58 JA8022「MATSU」JAL〔1963年 羽田空港〕

初回発注分3機の羽田へのフェリーは61年9月中に行われ、この領収2機目の機体が最初に羽田に到着した機体となりました。その後9月末に、羽田―札幌線の国内線ジェット化が開始され、最後は70年に売却(キャセイパシフィック VR-HGG)されました。

コンベア880-22M  cn 22-7-7-59 JA8023「KAEDE」JAL〔1965年 横田基地〕

JAL3機目のCV-880 KAEDE、写真は横田基地での訓練中ですが、この後まもなく、1965年2月27日に旧壱岐空港でT&Gの訓練中、事故で機体は大破しています。

コンベア880-22M  cn 22-7-8-60 JA8024「KIKU」JAL〔1965年 横田基地〕

横田基地R/W18からの離着陸訓練中ですが、最後は1970年に売却(キャセイパシフィック VR-HGG)されました。

コンベア880-22M  cn 22-7-9-61 JA8025「AYAME」JAL〔1969年 福岡空港〕

福岡空港 R/W34側からの着陸です。この機体は71年に売却、その後Rainbow Air N4339Dとして、84年ごろまで飛行していた記録があります。

コンベア880-22M  cn 22-00-46M JA8026「YANAGI」JAL〔1967年 羽田空港〕

1967年羽田空港整備地区前での撮影です。この頃から1970年大阪万博(Expo70)のキャンペーンマークが多くの機体に貼られていました。71年にボーイング社へ売却、その後N5858,N54CP等、81年頃まで飛行実績があります。

コンベア880-22M  cn 22-00-48M JA8027「SUMIRE」JAL〔1964年 羽田空港〕

羽田空港R/W15からの着陸です。1969年大阪空港でJALのCV-880唯一の乗客搭乗中での事故(オーバーランによる中破)を起こしていますが、その後修復され、1971年にボーイング社へ売却されました。N5863、TF-AVB、N58RD等で使用されていましたが、最後は1986年にFAAが購入、Mojave空港でのFAA / GEによる燃料火災実験(AMK Test)に使用され廃棄されました。

コンベア880-22M  cn 22-00-49M JA8028「KIKYOU 」JAL〔1965年 伊丹空港〕

1965年伊丹空港での撮影です。JALがGD社から購入した最後の機体ですが、製造番号上からもJA8025等以前の製造機でJALが引き取った機体です。1969年JALの乗員訓練所、モーゼスレークで離陸時critical-engine–outの訓練中にNo4 Engineが接触、炎上し大破しています。

コンベア880-22M  cn 22-00-45M JA8030「銀座」JDA〔1965年2月 羽田空港〕

JDAが国内幹線用にGD社からリースした機体で、羽田到着直後の撮影です。以前はスイス航空(HB-ICM)で使用された、GDが保管中の機体でした。

コンベア880-22M  cn 22-00-45M JA8030「銀座」JAL〔1966年 羽田空港〕

JDAは1966年7月から国内幹線の運航をJALに委譲、その後はJALが本機をリース、JALは訓練機として使用していました。JALは1966.8.26羽田で機種限定変更の試験を実施中、離陸直後に墜落、試験官を含め乗員5名全員死亡の大事故でした。なお、この1966年は、2月の羽田沖ANA B-727墜落事故、3月のカナダ太平洋DC-8羽田事故、3月富士山上空でのBOAC B-707事故、11月ANA YS-11による松山沖事故と、大事故が5件も重なった、日本の航空史上で忘れられない年でした。