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AIC航空写真館


ピックアップ写真館 Vol.11 : フレンドシップ F-27 Part.1 ANA創成期の主役

2021/08/29 ピックアップ写真館

現在でこそ主な地方都市を含め、どこにでも飛行場がありますが、近年まで飛行場もない過疎地(離島や僻地等でヘリも普及していない頃)では、無くてはならない住民の足でした。

文・写真 : 鈴木 宣勝

フォッカー F27-200 cn10179 P2-MNE (JA8603) エア・ニューギニー 〔1972年12月 伊丹空港〕

全日空の第一次発注機分(JA8601~JA8603の3機)の機体で、1961年6月 初号機JA8601と供に羽田へ到着。71年頃から順次引退を開始したフレンドシップは、1973.3.31付けで、全機路線から撤退しましたが、この機体は、売却先のAIR NIUGINI(PAPUA NEW GUINEA NATIONAL AIRLINE)への整備、機体塗装が終わり、フェリー直前の様子です。なお、全日空が使用したフレンドシップ25機全機は、このように売却先向けの整備(他にフランス、インドネシア、オーストラリア等のエアライン)後フェリーされ、他のエアラインで活躍し、そのすべてが第二の人生を送りました。

フォッカー F-27-200 c/n10117 JA8601 ANA 〔1966年 伊丹空港〕

全日空が購入したフレンドシップの初号機で、売却先はインドネシアのべリタエア(PK-PFW)です。

フォッカー F-27-200 c/n10228 JA8617 ANA〔970年 羽田空港〕

1963年受領、1973年フランスのTAT(F-BUFU)へ売却された。この機体は1966年鹿児島空港でオーバーラン事故(クルーのみのフェリー時)を起こした経緯があるが、ANAによる修理後、売却時まで飛行している。フレンドシップによる唯一の事故らしい事故であったが、乗客搭乗時の事故は皆無であった。

フォッカー F-27-200 c/n10203 JA8608(天馬)藤田航空 〔1963年 羽田空港〕

1962年7月 藤田航空が受領、羽田―八丈島路線に使用していたが、1963年11月全日空に吸収合併され、その後は機体塗装もANAとなっている。

フォッカーF-27-200 c/n10203 JA8608 ANA 〔1968年 羽田空港〕

元藤田航空ですが、その後ANA機となり、最後の売却先は、1971年インドネシアのペリタエア(PK-PFU)です。なおフレンドシップの前方ドアは荷物室用で、このような使用法であり、ドア後方に70年万博キャンペーンマークが入っている。

フォッカー F-27-200 c/n10261 P2-BNF(JA8636) エア・ニューギニー〔1974年11月 伊丹空港〕

1964年ANAが受領、1974年ANAに最後に残っていた機体でした。 ANA JA8636としての最後の飛行は、当サイト年第別1970年代で紹介していますが、1974年11月29日で売却のためJA登録抹消、翌日パプアニューギニー籍で伊丹からフェリーされる時の様子です。この時を持って、全日空が使用していた全25機のF-27-200が日本からなくなりました。

フォッカー F-27-200 c/n10263 JA8638 ANA 〔1970年9月 厚木飛行場〕

全日空が購入したフレンドシップの最終号機で1964年12月納入、売却は1972年5月アイスランド(TF-FIM)へ売却。なお、写真は1970年大阪万博が開かれた年、羽田空港のトラフィックが満杯となり、減便と同時に大島、秋田路線等が一時的に厚木飛行場発着となった時のものです。