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AIC航空写真館


ピックアップ写真館 Vol.13 : コンベア240/340/440シリーズ Part.1

2021/08/31 ピックアップ写真館

日本が戦後、航空再開した1953年(S-28)当時、本シリーズの「Vol:8 日本国内で活躍したDC-3」でも述べましたが、当時入手可能で戦後民間に放出された多数のDC-3を各社が競って購入(延べ18機)し、日本の航空再開の基礎を築きました。しかし、すべて戦前に製造された機体であり、性能的にも一時代前で与圧キャビンでない等の制約がありました。戦後急速に発展しつつあった民間航空界のための旅客機として、コンベア社がDC-3の後継機用に開発したのがCV-240レシプロ旅客機で、1947年に初飛行していました。
日本では、1959年からANAがリース機として、新造機のCV-440メトロポリタンを2機、更に中古の2機(CV-340でCV-440仕様)の計4機を使用しましたが、既にF-27等のタービン機が運用開始された等もあり、暫定的な使用で1965年にはすべて売却されました。 
また、1960年以降には、DC-3等を主力としていた国内ローカル線各社が競って中古のCV-240を延べ16機も購入、YS-11タービン機が普及した1970年頃まで、ANAを除いた使用エアラインも延べ6社もありました。

Part.1及びPart.2で国内各エアラインでの使用状況、Part.3では海外での使用機及び派生型(CV580からCV5800等)の紹介を3回に分けて掲載したいと思います。

なお、CV-240 コンベアライナーは、コンベア社(Convair、Consolidated Vultee)がAmerican AirlinesのDC-3の後継用として開発、1948年からAAに75機、他にWestern, Continental、KLM等が採用、更に1950年からはUSAF(C-131 Samaritan等)が採用したこともあり、延べ500機以上が生産されました。
1952年からは、United Air Linesが要求(当初Super CV-240)していた、胴体(1.47m)及び翌幅を延長、エンジンをパワーアップしたものをCV-340として生産。さらに、1955年からはCV-340のキャビン内装の改善、ロングノーズの標準化(レドーム)等を行ったCV-440メトロポリタンに生産が移り、シリーズの生産が終わる1958年頃(*)までに更に500機以上が生産されました。(*更に、少数機がカナダのCanadairで生産されました )

文・写真 : 鈴木 宣勝

コンベア CV-240-3 cn73 JA5125日本国内航空(陸中) 〔1966年 羽田空港〕

1963年 日東航空がCPAL (CF-CUU)から購入、64年には日本国内航空(JDA)となり、更に、67年から68年の1年間は日本航空を経て南西航空で使用、68年12月には売却(N90844)されました。

コンベアCV240-14 cn47 JA5092 日本航空 〔1967年 羽田空港〕

1967年本土復帰前の沖縄に、日本航空も出資した南西航空(SWAL)が設立されました。
JALは、JDAからCV240を3機リース(JA5125、JA5092、JA5087)し、更に南西航空機として、南西航空発足時の1967年7月1日から、YS-11が就航する約1年間、CV240を運行していました。この写真は、日本航空が南西航空へ引き渡す前の整備中の機体で、機首付近に書かれたJALマークは、引き渡し時にはSWAL塗装となり、JAL機として飛行することは無かったと思います。
なお、この機体は1948年 Western Airlines(N8408H)へ引き渡された機体で、1962年北日本航空が購入、64年からJDA(日高)、SWALで使用の後、69年1月に売却(N8408H)されたが、その後2011年から、カリフォルニアChinoのPlanes of Fame Air Museumで、オリジナルのWestern航空の塗装で展示され、見ることができます。

コンベア CV-240-1 cn27 JA5087 南西航空 〔1968年 羽田空港〕

1948年10月Western Airlinesへデリバリーされた機体で1961年北日本航空(NJA)が輸入、64年からはJDAとなったが、67年にJAL経由でSWALへリースされたときのものです。 1968年には、SWALのYS-11が運航を開始したことで、リースバックされ羽田へ戻った直後の11月には売却されました( N8404H Air Service Inc )。

コンベアCV-240-26 cn165 JA5096 富士航空 〔1963年 羽田空港〕

1950年 American Airlines(N94276)へ引き渡され、1961年 富士航空(FUJI AIR LINES)が購入、64年からはJDA (北見) となり、1967年まで使用され売却(N17418)された。
なお、写真の後方に見えるのは、64年8月に開通した首都高羽田線の工事現場です。

コンベアCV-240-0 cn108 富士航空 JA5112 〔1964年 羽田空港 〕

1948年 American Airlines(N94251)へデリバリーされ、1962年富士航空が購入、64年からはJDA(十勝)となり、67年 売却(N17417)された。

ハロゲンの3倍、3,000ルーメンの革命的な明るさ

1960年、北日本航空(North Japan Airlines)が購入したCV240の初号機で、塗装はHAWAIIAN AIRLINESのDC-3を購入した際に採用された、ハワイアンカラーです。1964年JDA(阿波)となり、1966年5月 売却(N24000)された。

コンベアCV-240-23 cn177 JA5120 日東航空 〔1963年 羽田空港〕

1950年頃からGaruda Indonesiaで使用していた機体ですが、61年ごろからGD (General Dynamics Convair Division)に戻されていたものを日東航空が1963年に購入、64年にはJDA(石狩)となり、67年まで使用し、その後売却しています。なおこの塗装はGD当時(N1014G)の塗装に字体とマークを記入したためであり、もう1機の日東機(JA5128)も前使用社のCanadian Pacific塗装を流用した経緯があります。