ピックアップ写真館 Vol.22 : 航空貨物輸送の時代 Part.6( タービン大型輸送機の普及 )
2021/09/09 ピックアップ写真館Part:6では、現代のジェット貨物機を除く、初期の特殊な大型貨物を輸送するための機体の開発、軍用輸送機だった機種の民間型としての普及等、各種の代表的な機種を紹介します。
最初に紹介するのはエアロスペースラインB-377SGスーパーグッピーで、本項Part:1で紹介したB-377PGプレグナント・グッピーの後継機として開発されました。NASAのサターンロケットの運搬のために1機のみの製造で終わったPregnant Guppyに対し、より大型のアポロロケット運搬のために、Aero Spacelines社がレシプロエンジンのB-377ストラトクルーザーをタービンエンジン化したC-97J型をベースに、さらに大型化したB-377SG Super Guppyが1965年に開発されました。
機内貨物容量としては、7.6mx7.6m(床面幅2.7m)で24t積載、その後開発された超大型機An-225ムリアが4.4mx6.4mで240t、エアバス社のA300-600ST ベルーガが6.5m直径 47tと比較しても、広胴貨物機としての特異性が際立っています。
B-377SGスーパーグッピーは、原型機として1機のみ製造されましたが、更に改良されたB-377SGTスーパーグッピー・タービンは4機製造されました。
主な改良点は、カーゴ室の床面幅を4mに広げ、長さも28.8mから34mに延長、エンジンはP&W T-34から、Allison 501-D22Cとなりました。 生産1、2号機は、エアバス社(sn1 F-BTGV、sn2 F-BPPA )に売却され、エアバス機の翼や胴体の大型品を、ヨーロッパ各地の工場から、最終組立工場のツールーズ等に輸送するための手段として、1971年から、エアバス社が自主開発したA300-600STベルーガに代わる1995年まで使用されました。
文・写真 : 鈴木 宣勝
Aero Spacelines B-377-SGT Super Guppy Turbine sn0002 F-GPPA 〔1979年 ルブルージェ空港〕
フランス、ルブルージェ空港UTA航空(UTA Industry)のハンガー前に駐機するB-377-SGTの2号機です。 UTAは、B-377SGTの3号機と4号機を、1983年及び1984年にエアバス社向けに、この場所で製造組み立てをした経緯があります。 なお、787の組み立て部品を名古屋からシアトルのボーイング社へ輸送しているB-747LCFも、全て台北のEva Air社の整備部門EGAT社で改造組み立てをした経緯もあります。
B-377SGTスーパーグッピー・タービンは、製造された4機すべてが、1995年にA300ベルーガに代わるまでエアバス社で使用されました。 ボーイング社の貢献がなければ、エアバス社の今日の繁栄はなかったとまで言われていますが、現在この2号機(F-GPPA)は、エアバス社ツールーズ工場で展示され、唯一現存する機体は4号機(旧F-GEAI)で、NASAがN941NAとして、エルパソ空港(Texas)で運用されています。
ダグラス C-133A c/n 45164(AF s/n56-1999)N199AB 〔1979年 アンカレッジ空港〕
ダグラスC-133 カーゴマスターは、1956年初飛行し1961年までに50機生産された米軍の大型戦略輸送機(同時期に生産開始されたロッキードC-130 ハーキュリーズは戦術輸送機)で、米ソ冷戦の最中ICBMアトラス、タイタン等を、後部の大型ドアから、そのまま輸送できることも目的として、1960年代は、日本の立川基地でも良く見ることができました。 しかし事故も多く、機体疲労の問題もあったことから、後継機C-5 ギャラクシーの配備が始まった1971年には、全機が軍から退役しています。
このN199AB機は、唯一の飛行許可を得た民間機として、FAAの耐空証明は得られなかったものの、アラスカ州内におけるパイプライン建設の輸送目的で、アンカレッジ空港をベースに飛行していました。なお、この機体は、CAのトラビス空軍基地で展示されるため2016年3月、C-133として最終のフェリー・フライトを行っています。
アントノフ An-12B cn402808 CCCP-11366 エアロフロート 〔1967年 羽田空港〕
アントノフAn-12(カブ)は、1957年初飛行し、同時期に開発されたAn-10旅客機の貨物輸送型で、ターボプロップ4発の輸送機です。アメリカのC-130ハーキュリーズ輸送機と非常に近く、各種派生形を含め、1972年まで1200機以上が生産され、現在でも、旧ソ連圏諸国等で多く使われています。 さらに、中国でもライセンス生産され、独自の派生型Y-8系列が、2001年頃まで70機以上生産されました。
アントノフ An-12B cn40223 PK-PUB インドネシア政府 〔1966年 羽田空港〕
インドネシア政府“Ministry of Air Communication”所属、機首にArdjunaの名が書かれていますが、以前はインドネシア空軍(A.U.R.I.)所属T-1205であった機体で、胴体最後部には機銃の銃座跡が未だ残っていました。
Armstrong Whitworth AW-650 Argosy222 c/n6801 ZK-SAF SAFE Air 〔1980年 オークランド空港〕
英国のアームストロング・ホィットワース AW-650 アーゴシーは、ダートエンジン4発の民間貨物機として1959年に初飛行、初期の100シリーズ、200シリーズで17機が製造されました。 なお、軍用型AW-660も60余機ほど製造されていますが、尾部のカーゴドアだけでなく、機首の部分も大きく開くカーゴドアは民間型だけです。この機体は、1965年製造後、BEA(G-ASXM)、Transair Canada(CF-TAG)等で使用された後、ニュージランドのSAFE Airが1974年から使用、1990年 ニュージランドのウェリントン空港への着陸時に左脚のダウンロックの不具合で、ダイバートした空港に着陸したが左脚は引っ込み、機体は大破した。
アントノフ An-22アンテーイ 043482263 CCCO-09314 エアロフロート 〔1991年 ドイツ〕
1991年東ドイツが無くなった直後、ベルリンへ向かう高速道路の近くで、未だ残っていたソ連軍基地に降りるエアロフロート機です。当時のソ連軍輸送機はエアロフロートとの共同運用が可能となっており、日本へは2008年ウクライナのアントノフ航空の所属機(An-22A UR-09307)が大阪空港へ飛来しています。
An-22は世界最大のプロペラ輸送機で、15000馬力のターボプロップエンジン4発、二重反転プロペラを装備し、搭載量に勝るジェットのAn-124に代わるまでは東側の主力輸送機(60機余り製造)でした。
グラマン G-159 ガルフストリーム1 c/n142 EC-EXQ Drenair 〔1991年頃 オルリー空港〕
1964年製造のガルフストリーム1型で、1977年に大型のカーゴドア付きに改造され、Zantop Aviation(N764G、N10ZA)等で使用されていたが、最後はスペインのdrenairがカーゴ機として使用していた機体です。
G-159 Gulfstream 1は、現在数多くビジネスジェット機として製造されているガルフストリームシリーズの原型機とも言えるもので、1958年に初飛行200機余りが製造されました。ターボプロップ2200hpのR/R Dartエンジン付きで、YS-11を小型にしたような外観ですが、胴体部等に現在のジェット化されたガルフストリームのイメージが見えます。