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ピックアップ写真館 Vol.29 : BOAC ジェット旅客機の登場とジェット時代の始まり

2021/09/16 ピックアップ写真館

British Overseas Airways Corporation(BOAC 英国海外航空)は、1938年設立、1974年にBEA(英国欧州航空)と合併し、現在のBritish Airwaysになるまでの国営航空会社でした。 大英帝国の一翼を担う国策もあり、米国のパンアメリカン航空と並ぶ一大航空会社として、羽田でもユニークな航空会社でした。BOACは1953年英国が世界で初めて開発したジェット旅客機 コメット1型をヒースロー―羽田の定期路線に就航させましたが、翌年の1954年に続けて2機の空中分解事故が起こったことで、わずか半年余の運航で終わりました。このときの再発防止を目的とした事故原因の徹底的な調査及び、設計の見直しについては、ジェット旅客機の歴史を語るためには、非常に重要なことなので、改めて整理しておきたいと思います。事故当時の日本は、大戦後、GHQの「航空活動禁止令」が出され、あらゆる航空に関する教育、研究、実験等も禁じられていた時代の直後でした。1952年講和条約の発効により、この禁止令が解除されましたが、一般的には1951年日本航空がリース機を使用した運航、整備を除いた営業活動のみで民間航空再開とされていた事情もありました。コメットの事故原因は初めてのジェット旅客機として、それまでのレシプロ旅客機が飛び得なかった、高高度の成層圏を高速で飛行できること自体が要因でした。ジェットの大型爆撃機等で同様性能の機体は数多くあり、乗員が搭乗する部分のみ与圧されていたのを、乗客が搭乗する胴体の殆どを常に最大与圧(10.000mで約7psi)で飛行することの、新たな課題は当初考えられませんでした。空中分解は金属疲労によるものと考えられ試験が行われましたが、それ以前の旅客機ボーイング377や、DC-7と同様な客室窓であった、窓コーナー部分が、高い与圧により約3倍の応力集中があったこと、更に機体全体の破壊過程に至ることの確認として、それまで考えられなかった方法である、他のBOAC機で胴体すべてを大型水槽内に沈め、与圧荷重を掛けながら疲労試験を行った結果では、数か月かかると思われた試験が、3週間未満で破壊に至ったことが確認されたことが大きな成果でした。これらの試験には莫大な資金と人員、イギリスのRAE(Royal Aircraft Establishment )だけでなくダグラス社等も参加し、国家的事業(時のチャーチル首相の指示)として行われ、その後の機体設計に関し、応力集中及び亀裂が生じた後のフエイルセーフ構造に対し貢献したこと、その役割は非常に大きなものでした。ただし課題として日本では、当時これらの事故調査及び安全性向上に対する対応の学ぶ機会が無かったこと、最近での国内事故での事故対応に対する考え方の社会対応をみると、現在でも同様と思われます。日本の航空界の特徴として、戦後航空再開以降は、官需と区分けされる、国が発注する自衛隊機等の開発製造が主であって、民需部門はボーイング機等、図面に基づく製造部門のみの下請け作業等が主であったことから、民間機の開発に必要な、安全性に対する根本的な考え方の発想転換は、未だ課題が多いと考えられます。( 官需部門であれば、その運用形態を含めた特定の使用目的に合致すれば良いもので、必ずしも安全性だけが目標でないことから、当面の飛行目的が可能であれば、膨大なコストが生ずる試験、バックアップ等は必ずしも必要とされないからです。)

デ・ハビランドDH106コメット4 c/n6404 G-APDC BOAC〔1964年 羽田空港〕

1958年10月4日、ジェット旅客機による初めての大西洋横断定期便としてロンドン発ニューヨーク行きに就航した機体です。ほぼ同時刻にNY発ロンドン行きでG-APDB機が出発し、大西洋上(47°West )ですれ違い、東向きは6Hr12Minでロンドンに到着、西向きの、この機体は、強い向かい風で、ニューファンドランドで給油(1hr10min )しましたが、NYへは10Hr20Min後に到着しました。このフライト以前では、1952年のコメット1により一時的に就航したロンドン-東京路線等で、航続距離が短かったため、シンガポール-香港経由-東京等となっており、本格的なジェット機による定期路線の幕開けといえるものでした。しかし同じ月の月末からPan Ameが、同じルートをボーイング707で、1960年にはダグラスDC-8等で、より高速、より大型の機体を他社が使用したため、BOACは19機購入したコメット4以外に、ボーイング707のBOAC仕様機(RRコンウェイエンジン装備の707-400)を20機を発注使用し、このルートのコメットの使用は続きませんでした。

デ・ハビランドDH106コメット4 c/n6417 G-APDP BOAC〔1964年 羽田空港〕

1959年BOACにデリバリーされた機体で、Quantas Airやシンガポール(9V-BBH)等でも使用されましたが、1973年にイギリス空軍(RAE)に売却(XX944)、ニムロッドの開発試験に使用された機体です。

ビッカースVC-10 Type1101 c/n815 G-ARVM  BOAC〔1964年 羽田空港〕

BOACは12機のStandard VC-10と17機のSuper VC-10を使用しましたが、この機体はType1101 Standard VC-10の最終号機で1964年7月 初飛行しました。1974年、British Airwaysになった以降も使用されていましたが、1979年 RAF Museum Cosfordへフェリーされ、以降はコスフォードの博物館で展示されていた機体です。

ビッカースVC-10 Type1101 c/n811 G-ARVI BOAC〔1964年 羽田空港〕

1964年BOACへ引き渡された機体で、Nigeria Air、Gulf Air(A4O-VIレジ)等でも使用されましたが、1978年にRAFへ売却、Type1112 K2タンカーへ改修し、1984年から101Squadron(ZA142)の最後のK-2タンカーとして、2001年まで飛行していました。

ビッカース スーパーVC-10 Type1151 c/n852 G-ASGB〔1967年 羽田空港〕

1965年、BOACへ引き渡された機体で、British Airwaysを経て、1981年にRAF(ZD231)へ売却されました。

ボーイング707-400 17707/127 G-APFF BOAC〔1964年 羽田空港〕

1960年BOACへ引き渡され、1974年British Airwaysとなりましたが、British Airtoursへリースされ、1981年頃まで使用されていました。撮影は1964年10月東京オリンピックの年で、塗装はBOACの初期塗装です。

ボーイング707-400 17717/176 G-APFP BOAC〔1967年 羽田空港〕

1960年BOACへ引き渡された機体で、BAを経て、1975年にBoeing社が引き取っています。なお、塗装は後期のBOAC塗装で、尾翼及びBOACタイトルレジが異なります。

ボーイング707-400 BOAC-CUNARD〔1965年 羽田空港〕

BOACは1962年に、汽船クイーンエリザベス等を所有するキュナード汽船会社と、合弁会社 BOAC-Cunard社を設立し、米国カリブ海諸国及び南米ルートへのチャーターフライトを実施していました。BOACは20機の707-400型を使用していましたが、延べ数で10機程度がBOAC CUNARD社へ一時的に所有者変更を行っていたことから、羽田でもBOAC便で見ることができました。

ボーイング707-320C 17717/176 G-AVPB BOAC〔1972年 伊丹空港〕

BOACは1965年以降、ボーイング707-320Cを6機を購入し、747-400では存在しなかったカーゴ機として主に使用していました。なお、この機体はBOAC-CargoからBritish Airwaysとなり、1981年からはBritish Airtoursとなり旅客チャーター便としても使用されていました。 その後エジプト等(SU-DAC)で1998年頃まで使用されています。

ボーイング707-400 BOAC〔1965年 羽田空港〕

最後に、BOACの747-400で装備されていた、RRコンウェイ・エンジン(Mk508 )のエンジンを紹介します。RR RC.12 Mk508コンウェイは軸流のターボファンエンジンで7段の低圧及び9段の高圧部コンプレッサーを有し、2段の空冷高圧タービン、単段の低圧タービンで駆動される、バイパス比は約25%程度でした。 707及びDC-8で当初装備されたP&WのJT-4Aターボジェットエンジンと比べるとパワー及び燃費とも良く、LH、BOAC、Air India等が発注し、初号機は1960年LHに引渡され1963年まで37機が生産されました。 しかし1962年から就航したPan Amの707-320B型以降に装備されたP&W JT-3Dのバイバス比の大きなターボファンエンジンと比べると、性能面等は劣り、採用機は少なく終わりました。 707-400型の外形上は、コンウェイエンジンがパワーアップされたことで垂直尾翼の胴体下方にフィン装備が義務化されていること、エンジンナセルの外観上では、ファンエンジンJT-3Dの前方2段のファンブレード、バイパス流部等はないため、ターボジェットエンジンJT-4A等と特に違いはなく見えます。