AIC PHOTO

AIC航空写真館


ピックアップ写真館 Vol.31 : 国産小型機〔その2〕

2021/09/18 ピックアップ写真館

国産小型機を続けます。日本で作られた航空機としては、良く知られている大手重工業による大量生産された機種だけでなく、中小の企業、或いは個人の趣味だけで作られたものを含め、技術的に興味深いものも多くあり、日のあたらなかったこれらの機種もできる限り紹介したいと思います。なお、ホームビルド機も含まれますが、ホームビルドの定義とは、個人で製作(全体の51%以上の工程)した場合に、製造責任が当該機のオリジナルの設計者や部品販売会社から、(組み立て工程等を実施した)製造者に移ることで、簡易的な方法で飛行許可が得られるFAAの制度ですが、日本では制度的なものがないため、飛行許可が難しい現状があります。 大手メーカーの生産機でもライセンス生産からノックダウン生産、単なる再組立まで様々ですが、エンジン及び主要なコンポーネント等は国際分業とも言える専門メーカーであり、機体の製造国の意味は薄くなりつつあります。

三菱 MU-2A 製造番号 MU-2-001 JA8620 三菱重工〔1964年8月 名古屋空港〕

三菱MU-2の試作1号機で飛行試験中、機首にテスト用ピトー管装備です。フランス製アスタズーエンジンを装備したMU-2A型は、試作機を2機、量産型は前回JA8626として紹介した3号機だけです。この1号機は1963年9月に初飛行、テスト終了後、1965年1月に登録を抹消、直後、米国向けのMU-2B型の展示用機として改造され、ニューヨーク万国博(65年10月まで開催)に展示されました。その後は、科学技術館、現在は新潟県立自然科学館で展示されていますが、外型はMU-2B型です。MU-2型の特徴は、全翼幅のフラップで、エルロンは無く、翼上面のスポイラーが横方向の操縦を行うことで、優秀なSTOL性能及び操縦性を得ています。

三菱MU-2B-30 製造番号MU-2-504 JA8753 三菱重工〔1971年 名古屋空港〕

1966年から販売を開始した輸出型であるMU-2Bシリーズは、生産中止となった1986年までに、各型併せて700機以上が世界各国に販売されました。生産は、米国三菱(MAI)の工場でエンジン装備を含む殆どの艤装作業を行い、フライトテスト後、FAAの証明の基に販売されたものが殆どです。初期の生産機はFAAの型式証明A2PCがベースでしたが、このTCはJCABの型式証明をベースにFAAが輸入機としてTCを行い、発行したものでした。しかし後期のモデルである、MU-2P、MU-2N、Solitaire, Marquise型等では、別途にFAAの型式証明A10SWを1976年に発行、米国三菱(MHIA Mitsubishi Heavy Industries America. Inc)がMHI (東京)のライセンスの基にTC維持を行うと定義されています。1979年から1985年までに57機生産したソリティア(Solitaire MU-2B-40で短胴型)、139機製造したマーキューズ(Marquise MU-2B-60で 長胴型)等は、日本で完成機を見る機会は一度もなく、FAAの審査のみで製造、販売されたもので、日本からは胴体等だけが、輸出された機体でした。なお、日本で販売された機体は、自衛隊向けのLR-1が20機、MU-2Sが29機、MU-2Jが4機だけで、民間向けは5~6機程度でした。 

三菱シコルスキーS-55C M55023 JA7068 三菱重工〔1964年 羽田空港〕

1960年三菱重工がライセンス生産したS-55C型で、この機体は、その後中日本航空で1975年頃まで使用されました。なお、三菱重工ではS-55型を合計72機(自衛隊68機、民間4機)程販売していますが、型式がシコルスキー式S-55型である、当初のノックダウン生産機28機が含まれており、製造番号の最初のMでシコルスキー製と区別できます。

三菱シコルスキーS-62A M62014 海上保安庁〔1967年 羽田空港〕

三菱重工が1967年製造したS-62A型で、海上保安庁が当時使用していたレシプロエンジンのS-55、及び S-58に代わる初のジェットヘリとして、1982年頃まで使用していました、その後は、現在の成田の航空科学博物館に展示されている機体です。三菱重工は1961年から1970年までの間、S-62型を自衛隊向けに18機(空自8、海自8)民間向け7機をノックダウン生産したとされていますが、参考として、三菱シコルスキーS-62型の製造番号M62001はJA9005、M62002はJA9006、M62003はJA9010として登録されているものの、シコルスキー社の製造番号62017、62018、62019もあり、Nナンバーの登録履歴(N94560等)もある機体でした。なお、日本での最初のタービンヘリの登録機、JA9000及びJA9001機は、どちらもシコルスキーS-62Aの輸入機(cn62013旧N74169機及びcn62015旧N94555機)で登録されており、当時のノックダウン生産機、ライセンス生産機には注意が必要です。

FA-200-160 FA-200-32 JA3454〔1971年頃 東京上空〕 

富士重工が開発したFA-200エアロスバルは1965年に初飛行、1986年生産が終了するまで、各型合わせて299機が生産されました。アクロバットができる機体として海外への輸出170機も含まれており、国内での自家用機としても、一時はどの飛行場でも見かけるほどでした。写真は、当時米国等で普及していた、排気管にオイルを吹きつけ、発生する煙により空中に宣伝用の文字等を描く装置、スカイタイピングの試験をFA-200で行った時のもので、この年10月小牧で行われたエアショーでは、この機体を含めFA-200の9機編隊を披露する等、最も華やかな頃でした。

日本大学 N70 シグナス 日本大学 〔1972年頃 桶川飛行場〕

日大が、N58シグネット、N62イーグレットに続き1970年モーターグライダーの開発に着手し、当時の木村秀政研究室の学生による研究成果として1971年に初飛行しました。単座のモーターグライダーでエンジンはスバル用の自動車エンジン、現在は各務原の航空宇宙科学博物館に展示されています。

日本飛行機 NP-100A アルバトロス 日本飛行機〔1976年 入間基地〕

1975年日本飛行機が開発、初飛行した独創的なモ―グライダーで、胴体内のパイロット後方にエンジンを搭載、延長軸でダクテッドフアンを駆動する方式です。日本飛行機は、当時、ニッピピラタスB-4 全金属性ソアラーのライセンス生産、軸流フアンのライセンス生産等も行っており、60HPの2Cycle 3Cylinder エンジンを搭載したものでした。

T-6G (msn 182-271)51-14584  N6522〔1969年頃 調布飛行場〕

1970年に公開されたアメリカ映画「トラ・トラ・トラ」の、日本でのロケ用に製作された97艦攻(Kate)レプリカです。ベースは航空自衛隊で使用していたT-6G 72-0151テキサン機で、Kateに似せるためにBT-13の風防等の部分を流用し、作業は調布の伊藤忠航空整備で実施しました。なお、同一機は米国(ハワイロケ用)でも製造され、十数機のKateが使用されましたが、現在でも一部の機体は飛行可能となっており、エアショー等で見ることができるようです。

ストルプSA-300 スターダスターツー 自作航空機 〔1977年 桶川飛行場〕

米国の典型的なホームビルド機で、複座スポーツタイプの複葉機 Stlp Starduster Tooを当時の都立航空工業高専が学生の研究用に製造図面を購入、学生が教材機として製作し、1977年に桶川飛行場で初飛行した機体です。米国での標準的なホームビルド機で、最近でのKit価格(2010年で$15.000)もあり、エンジン、プロペラ等は含まれていませんが、この機体には、中古で残時間のある標準的なO-320型エンジン(150HP)が装備されていました。なお、この機体は現在でも、南千住の都立科学技術展示館で展示、保管されており見ることができるようです。

伊藤忠N-62製造番号001 JA3216〔1970年代 米国シアトル空港〕

最後に、日本製の機体でも海外で興味が持たれた例として、6機のみ製造されたN-62型ですが、1970年代の一時期、米国シアトル空港のロビーに展示されていました。