ピックアップ写真館 Vol.32 : 国内線ジェット化の始まり、JAL系列 ボーイング727-100〔その1〕
2021/09/19 ピックアップ写真館
国内線の本格的なジェット化は、1965年、当時の国内3社(JAL,ANA,TDA)が統一型式機として発注したボーイング727-100型機の就航開始により始まりました。日本航空は、ボーイング727-100型機のみを12機発注、TDAが購入した2機を加え、計14機を1988年まで使用しました。ANAは導入した727-100型機は8機(他に短期リースのN機を4機)のみで1973年までにすべて売却、その後は後継機として導入した727-200型を主力機として計31機(初期のNリース機6機を含む)を1990年頃まで使用した経緯があります。(詳細は、別サイト「スズキエアワールド、」Vol.10 ANAボーイング727-100参照)本項では、導入初号機JA8307からJA8315(Yodo号)までの初期の機体を紹介し、(その2)以降でJA8327最終号機までの全機及びワールドエアからのNリース機、等を紹介します。
ボーイング727-100 18874/166 JA8307 (Tone) JAL〔1966年 羽田空港〕
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1965年7月JALに最初にデリバリーされた727-46(後の727-100シリーズ)型です。JALの727-100型は、導入当初全て河の名前、とね、かも、ちくご、等の愛称が付けられていましたが、新塗装(鶴丸)に変更された以降は、機体に愛称名は書かれなくなりました。 なお、本機は1972年にKorean Air(HL7308)に売却され、その後もAvianca, SAM Colombia等で使用され、1999年頃までの使用記録があります。
ボーイング727-100 18875/202 JA8308 (Kamo)JAL〔1967年 羽田空港〕
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1965年11月JALが領収した2番機で、1972年にはKorean Air (HL7307)に売却。その後はAvianca,及び SAM Colombiaで使用していましたが、1993年に地上火災により廃棄。
ボーイング727-100 18876/217 JA8309 (Chikugo) JAL〔1969年 福岡空港〕
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1966年1月領収の3番機で、1972年にKorean Air (HL7309)に売却。その後は、1993年にSAM Colombia航空(HK-2422X)でコロンビアのメデジン近郊でアプローチ開始時、山(12300ft)へ衝突、132名全員死亡の航空事故を起こしています。
ボーイング727-100 18877/226 JA8310 (Ishikari)〔1967年 羽田空港〕
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1966年1月領収の4番機、1972年にイギリスのDan-Air London(G-BAFZ)に売却。その後は、Avianca, Omega Air等で使用され1995年ごろまでの使用された記録があります。
ボーイング727-100 18878/236 JA8311 (Kiso) JAL〔1967年 羽田空港〕
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1966年3月領収の5番機、1972年にDan-Air London(G-BAJW)に売却。その後はRoyal Nepal、Amerijet等で使用され、1998年頃まで使われました。
ボーイング727-100 18879/254 JA8312 (Tokachi) JAL〔1967年 羽田空港〕
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1966年4月に領収、1972年にDan-Air London(G-BAEF)に売却。その後1993年頃まで使用された記録があります。
ボーイング727-100 19138/246 JA8314 (Tenryu)JAL 〔1966年10月 羽田空港〕
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1966年3月に引き渡された機体ですが、発注は当時の日本国内航空(JDA)だったため型式名は727-89型です。当初はJDA塗装、愛称天女でしたが極く短期間のみで、このJAL塗装の愛称Tenryuとなり、その後は1971年東亜国内航空(TDA)発足とともにTDAへ移籍、愛称たかちほとして使用されました。 その後、1975年にHapag-LIoyd(D-AHLR)へ売却、Condor等をへて1990年頃まで使用されました。
ボーイング727-100 19138/255 JA8315 (羽衣)JDA〔1966年5月 羽田空港〕
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1966年4月JDA727-89型として領収、この塗装は短期間のみで、JDAは国内幹線の運航を路線ごとJALへリースし、機体はJALへ移籍されました。
ボーイング727-100 19138/255 JA8315 (Yodo)JAL〔1966年7月 羽田空港〕
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JAL機となったことで、一時期のみですが、このハイブリッド塗装で運航していました。
ボーイング727-100 19138/255 JA8315 (Yodo) JAL〔1967年 羽田空港〕
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この塗装が日本航空 よど号としてよく知られた機体です。1970年3月31日羽田発福岡行きの便が日本赤軍によりハイジャックされ、ソウル経由、ピヨンヤン近郊の飛行場へ着陸、北朝鮮当局に確保されたが、機体及び乗員は翌月4月5日に解放、羽田へ帰着しましたが、よど号ハイジャック事件として忘れられない機体となりました。