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ピックアップ写真館 Vol.33 : 国内線ジェット化の始まり、JAL系列 ボーイング727-100〔その2〕

2021/09/20 ピックアップ写真館

本項ではJAL系列の ボーイング727-100型の使用機で、前回はJA8307の初号機からJA8315までの初期の購入機を紹介しましたが、本項では残りの機体JA8327までと、その後短期間の使用が多かったワールドエアウェイズからのNナンバー、リース機の一部を紹介します。

ボーイング727-100 19279/288 JA8318 (Tama ) JAL〔1967年 羽田空港〕

ALが1966年7月JA8315(Yodo)に続き導入した機体で727-46型、撮影は旧羽田の国内線エリア、左右は当時の第一線機CV-880とDC-8です。また、前回紹介したJA8314及びJA8315機の正式型式名は、発注がJDA(後のTDA)だったことにより747-89型(727-100シリーズ)となっています。なお参考ですが、この機体が1968年7月21日の飛行中、グランドスポイラーが作動したとされていることで、当時2年前のJA8302東京湾墜落事故の調査に際しての課題となったとされています。改めて当該事故の最終事故報告書(羽田沖事故技術調査団1970.9.29付け)が現在でも言われている問題点である原因不明としての結論が、本来ではProbable cause(推定原因)としてあらゆる疑問点も記述すべきであった内容等が、今では有り得ないことですが、技術者間の対立等(異なる意見を持つ2名の主要委員が途中で辞任)から殆ど触れられていなかったことから生じた報告書に対する不信感は、その後設定された常設の航空事故調査委員会によるICAOの調査基準(システム、方法)に基づく報告書では本来有り得ないことですが、今でも一部の人の社会感覚、メデア等にとっては、その後の事故調査報告書に対しても、大きな影響力を与えています。

(参考:柳田邦夫著「 マッハの恐怖」、)
* 私、個人からは、 国会議事録検索(kokalog) 「1970-11-09 第63回国会、衆議院交通安全対策特別委員会18号」によって、官報にも公示されている当該事故調査報告書に対する国会での質問に対する当事者(木村秀政参考人、楢林寿一参考人等)の意見を直接確認することを、お勧めします。(公式Web版により確認が可能)

ボーイング727-100 19279/288 JA8318 (ふじ )TDA〔1970年 羽田空港〕

JALは1966.8.26、当時のJDAからリースしたCV-880 JA8030(銀座)が羽田での訓練中に墜落したことで、この機体を代替機としてTDAへ返却、1972年3月からTDA機(ふじ)として、1974年Dan-Air Londonへ売却(G-BDAN)されるまで使用しました。なお、このダン・エアのG-BDAN機は、1980年スペイン領カナリア諸島のテネリフェ空港にアプローチ中、山に衝突146人全員死亡の大事故を起こしています(このテリフェ空港は、1977年747ジャンボ機同士が滑走路上で衝突583人が死亡した、世界最大の航空事故が起きた空港です。)

ボーイング727-100 19280/373 JA8319 JAL〔1973年 伊丹空港〕

1967年から1975年Air Panama(HP-661)へ売却されるまでJALで使用していました。撮影は1973年頃の伊丹空港、使用頻度が少ない北側R/W14Rからの着陸です、JAL新塗装(ツルマル)に変更されたため、愛称(Kitakami)は使用されていません。

ボーイング727-100 19281/378 JA8320 (Sagami) JAL〔1967年 羽田空港〕

1967年2月JALへ引き渡され1974年まで使用された、愛称(Sagami)です。

ボーイング727-100 19281/378 JA8320 JAL〔1974年 鹿児島空港〕

前項の同一機でJAL新塗装(ツルマル)となった頃です、撮影は売却直前の鹿児島空港で、この後1974年4月Dan-Air London(G-BDCA)へ引き渡されました。

ボーイング727-100 19282/495 JA8325 (Shinano) JAL〔1968年 羽田空港〕

1967年12月JALへ引き渡され、機首左側のシールは、1970年の大阪万博(Expo70)のキャンペーン・マークです、1975年9月Hapag-LIoid (D-AHLQ)へ売却されました。

ボーイング727-100 19283/502 JA8326 JAL 〔1973年 伊丹空港〕

1967年12月JALへ引き渡され(引き渡し時の愛称 Kumano)、1988年2月Evergreen International Airlines(N745EV)へ売却されました。なお、JAL 727-100型14機中、最後に購入した、この機体を含めた2機(他にJA8327)のみが、他の機体が売却(75年頃まで)された以降も、近距離国際線(新潟-ハバロスク線等)やチャーター便で1988年まで使用されました。

ボーイング727-100 20078/686 JA8327 JAL〔1985年頃 成田空港〕

1969年1月 JALへ引き渡し(愛称 Kurobe)、1988年2月Evergreen International Airlines(N746EV)へ売却、Freighterへ改装され飛行していました。なお、この機体がJAL 727-100型のラストフライト使用機となっています。

ボーイング727-100 19504/427 N690WA JAL〔1973年 伊丹空港〕

JALが1969年から1975年頃まで、ワールドエアウェイズからリースで使用していた727-100型(727-173C)です。正式には70年2月から8月、再度73年1月から75年3月までの短期リースで、その都度JAL塗装(新、旧)がなされ、JALは旅客便以外にも、ワールドエアからのリース機はすべてがConvertible Typeであったため、JAL Cargo機としても使用していたようです。

ボーイング727-100 19508/457 N694WA JAL〔1969年 羽田空港〕

1969年3月から8月まで及び1970年6月から1971年9月までのワールドエアウェイズからの短期間のリースであった727-173C型で、塗装はJAL初回リース時がこの旧塗装、再度のリース時は新塗装(ツルマル)でした。1967年9月World Airlinesへ引き渡された機体ですが自社での使用は少なく、直後はUnited Airlinesへリース(10/67-6/68)、JALの後はVARIG(PP-VLS)で使用された機体でした。