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ピックアップ写真館 Vol.34:国内線ジェット化の始まりとなった ボーイング727-100〔追記 その1〕

2021/09/21 ピックアップ写真館

前回(Vol32.33)等ではJAL系列会社の ボーイング727-100型の使用機を紹介しましたが、本項では、未紹介だった当時の日本以外の海外での使用状況も含め、世界的に一般の旅行形態がジェット時代になるきっかけともなった、この727-100型について、更に紹介します。
最初に紹介するのは、727初号機、ユナイテッド航空のN7001Uで、1963年2月9日ボーイングのレントン飛行場から、エバレット(Paine Field)まで2時間1分の初飛行を行った、727の原型機(Prototype)ですが、製造2号機(N72700)などと供に、型式証明取得のための各種テスト飛行に使用されました。
727のエアラインへの引き渡しは1963年11月頃から始まりパイロット訓練が開始されましたが、型式証明の取得は1963年12月24日、初便の就航は、1964.2.1イースタン航空のマイアミからでした。 ユナイテッド航空は1964年3月から就航(N7004U 製造5号機)しています。 参考に、日本での727の就航は1964年3月ボーイングからANAがウェットリースしたN68650 ( 旧N7003U、別途スズキエアワールド ANA727-100 詳細参照 )による羽田―札幌路線が最初で、米国と比べてもほぼ同じ時期でした。
また、この画期的な高性能ジェット機の就航初期に集中的に発生した航空事故(1965年米国で3件、1966年2月ANA東京湾事故)も、ほぼ同様な結果となりました。
N7001U機は型式証明のCertification Program に基づく各種Flight Testが終了し、整備後(塗装もボーイングカラーのレモンイェローからUA塗装へ)、United Air Linesへ、1964年10月5日に引渡されました。
United Air Linesは1991年、この機体がリタイアーする際、シアトルのThe Museum of Flightへ寄贈するとし、領収当初の塗装に戻し、1991.1.13 United 838便(SFO-SEA)として最終フライト(27年間でTT64,495、LD回数48,660 )をしています。
The Museum of Flightでは、その後整備基地(Restoration Center)であるPain Fieldで保管し、その間に2003.10.24、FedExからラストフライトとなった727-025C N124FE機( Sister機 19360/371)の寄贈を受け、当該機からエンジンを含め欠品となった部品等を流用、N7001U機の完全な整備を行い、25年間保管後、2016年3月2日、N7001U機の最終フライトとなったPaine Fieldから展示施設(The Museum of Flight)のあるBoeing fieldへフェリーしました。
現在、Museumでは747初号機と供に、この727初号機も展示されています。

ボーイング727-22 18293/1 N7001U UAL〔1973年 シータック空港〕

1973年12月シアトル出張の際、シータック空港で撮影していたN7001U機です。727型の試作機としてテスト終了後、UAに引渡された機体で、その際のUA塗装は、次に紹介する機体(N7341U)と同じで、現在のシアトルの博物館での展示もこの塗装です。写真撮影時は、UA使用後9年ほど経過しており、その間の整備で再塗装(727 Friend Ship)されています。この塗装は1970年代初め頃に採用されたもので、追加された4ッ星、Friend Shipの文字は非常に印象に残るもので、先日(2017.11.7)ストフライトをした747-400 N188UA機にも、747引き渡し時と同じレトロ塗装として、この4ッ星と747Friend Shipの文字が追加されていました。

ボーイング727-22C 19805/543 N7431U UAL〔1973年 SFO空港〕

1968年3月UAに引き渡された727-22C型で、ラインNoからも727初飛行後から5年弱で500機以上が生産されています。 なお、1800機以上が生産された727型で、初期の短胴型(727-100シリーズ)は、計572機製造されましたが、内、床が補強され前方カーゴドアを装備した、この727-100C(Convertible)は53機、更に727-100QC(Quick Change用に床にRollerを追加 ) 型が111機含まれています。なお、この機体はカーゴ仕様機になることから1979年にFedExに売却(N111FE)されています。

ボーイング727-030 18368/117 N72700 Boeing〔1977年 ボーイングフィールド〕

ボーイング社の社用機カラーですが、1965年製造のルフトハンザ航空(D-ABIM)だった機体をボーイング社が購入、1977年5月から1986年10月まで社用機として使用していた機体です。 元のN72700機は、1963年3月に初飛行した727原型2号機(727-22 18464 /2 )でしたが、1号機(N7001U )と異なり、他社へ引き渡されることはなく、飛行試験終了後にスクラップとなった機体(塗装はレモンイエローのボーイングカラー)で、本機は、その後に購入した別の機体です。

ボーイング727-173C 19507/449 N693WA ワールドエアウェイズ〔1969年 横田基地〕

1967年World Airwaysへ引き渡された機体ですが、すぐに67年10月から68年6月までUAに短期間リース、その後短期間自社で使用、その際横田基地へのチャーター便として使用していた際の撮影です。このあとも70年前後の1年間のみJALがリース、更に73年から75年の間、TDA(とかち)がリースしたこともある機体です。その後も、PSA航空、Yemen Airwaysにリースされ、自社機としては余り使用されず、その後に売却されまた。

ボーイング727-92C 19173/308 N5055 Southern Air Transport〔1967年 横田基地〕

Southern Air Transportへ1966年引き渡された機体で、全面無塗装のため727の特徴がよく分ります。当時の横田基地には他の1機(N5092)と供に常駐し、ベトナム等の路線に使用していました。なお、Southern Air Transport(SAT )は1947年設立の小さな貨物チャーター会社でしたが、1960年米国のCIAが買収し所有、1973年売却するまでCIA Airlineとされていた会社です。その後にDC-8、747等の機材も増え、通常のエアラインが扱わない大型、且つ特殊な物資の輸送等を得意としていましたが、Iran-Contraとの関わり等、輸送物資の数々の問題等が指摘されたため1998年に会社は消滅し、その後別会社として1999年に設立されたAtlas Airのグループ会社 Southern Air が引き継いでいます。

ボーイング727-172C 19807/575 N727AL Air Lift〔1969年 横田基地〕

1968年Airlift Internationalへ引き渡された機体で、1981年以降はSoutheast Airlines、Flying Tigers等がリースで使用していました。

ボーイング727-109 19399/380 B-1818 CAL〔1968年 羽田空港〕

1967年台湾のChina Airlinesへ引き渡され、羽田でも定期便として、よく見ることができました。1982年以降は台湾空軍 のVIP用機2721として使用されています。

ボーイング727-092C 19175/339 B-1018 CAT〔1968年 羽田空港〕

1968年1月、台湾のCAT(Civil Air Transport )に引渡され、以前のCV-880 Golden Dragon(B-1008)に代わり就航しましたが、就航直後の1968年2月16日香港から台北空港への夜間のILSアプローチ中、パイロットミスにより、家屋と木に接触、乗員/乗客63名中乗員3名/乗客18名、地上で1名が死亡、機体は大破しました。非常に短期間の使用でしたが、以前に使用していたCV880 Golden Dragon(THE MANDARIN JET)と同じで、非常に美しい機体でした。
なお、CATは前に紹介したSATと同様に米国のCIAが所有していた時期があり、この事故をきっかけに消滅しています。

ボーイング727-121C 19819/516 XV-NJC Air Vietnam〔1968年 羽田空港〕

1968年1月Pan American World Airways(Clipper Frankfurt等)へ引き渡された機体ですが、ほどなくAir Vietnam ( Hang Kong Viet Nam )へ引き渡されました。この機体は、ベトナム戦の最中1974年9月15日、南ベトナムの国内線としてダナンからサイゴンへ飛行中にハイジャックに会い、北ベトナムハノイへ行くことを要求されましたが空中で爆弾が爆発、乗員/乗客75名全員が死亡した事故(Air Vietnam Flight706)になりました。

ボーイング727-46 18874/166 HL7308 大韓航空〔1973年 伊丹空港〕

最後は、前々回紹介したJALの727-100型の購入初号機 JA8307 ( とね )で、1972年8月Korean Airへ売却、その後HL7308となり、大阪等でもよく見られる機体でした。