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AIC航空写真館


ピックアップ写真館 Vol.39:1960年代 羽田空港 自衛隊連絡便 その2

2021/09/26 ピックアップ写真館

前回のVol:38に続き、1960年代、羽田空港旧ターミナル地区で見られた自衛隊機を紹介します。 飛来機は輸送機に限らず、小型練習機に至るまで連絡便として使用されましたが、貴重だったのは、殆どがレシプロエンジン機であって、直後にはタービンエンジン機に代わりました。その後は、見る機会が減少した機体でした。

ロッキード P2V-7 ネプチューン 4632 海上自衛隊〔1964年 羽田空港〕

川崎重工で組み立てた Model726-45-14 製造番号2016(149104)で、塗装は引き渡し当初の全面黒色系です。なお、海自P2V-7最初の16機(4601~4616)は、米国製の貸与機でしたが、初号機は1956年へ羽田空港経由でフェリーされ、塗装無し(銀)でした。

ロッキード P2V-7 ネプチューン 4660 海上自衛隊〔1965年頃 羽田空港〕

1965年川崎から引き渡された機体(153612)で、塗装は後期の上面白です。なお川重で組み上げたP2V-7は48機(4617~4664)で、1982年頃まで使用されました。

グラマンUF-2 アルバトロス 9054 海上自衛隊〔1966頃 羽田空港〕

UF-2アルバトロスは、1961年以降、海上自衛隊へ米軍から新造機6機が貸与され、1976年に退役するまで水陸両用の救難連絡機として使用されました。

グラマンS2F-1 トラッカー 4143 海上自衛隊〔1967年 羽田空港〕

海上自衛隊には1957年以降60機ほどのS2F-1対潜哨戒機が供与され、1976年から84までに退役しています。後継のP2V、P2Jに代わりましたが、空母搭載可能の小型対潜機であり、一時はいろいろな場所で見ることができました。

ビーチ JRB-4 msn7786 6413 海上自衛隊〔1964年 羽田空港〕

海上自衛隊へは、1957年、58年で35機のJRB-4(海軍名)(民間名ビーチ18シリーズ)が供与されました。この機体の米軍シリアル(USAAF 44-47389)は、海軍No48251から非常に古い機体ですが、操縦訓練、連絡機等として、1965年まで使用されました。

ビーチ B-65 6701海上自衛隊〔1967年 羽田空港〕

海上自衛隊が1963年からビーチ65クイーンエアをB-65として28機導入し、主に計器飛行訓練用として使用しました。 写真は、導入1号機で、塗装は全面グレー、その後、赤白塗装に変わっています。

カーチスC-46D コマンドmsn 32905 71-1131 航空自衛隊〔1964年 羽田空港〕

航空自衛隊では、1955年以降にC-46D型を48機程を導入し、1970年代にはすべて退役しました。この機体は製造時 AF44-77509、航空自衛隊には1957年に導入。1977年まで使用され返還、その後は、RP-C-184としてフィリッピンで1992年まで飛行していました。

カーチスC-46D コマンドmsn 32835 61-1129 航空自衛隊〔1964年 羽田空港〕

航空自衛隊のC-46Dの中でも、特別に61-1129機は他の1機(51-1119)と供にVIP機として運用され、24席仕様となっていたと記録があります。撮影は、羽田旧ターミナルでの到着時でタラップ等も準備され、民間旅客機と同様な運用でした。

ビーチT-34 A メンター KD-45 51-0355 航空自衛隊〔1966年 羽田空港〕

自衛隊の初級練習機であるT-34Aメンターは、ビーチ社からの輸入機、富士重工によるノックダウン機、ライセンス生産機合わせて120機以上が使用されました。この機体は富士によるノックダウン生産機(製造番号KD-45)で所属は、静浜基地の第11飛行教育団です。

ノースアメリカンT-6G 52-0127 航空自衛隊〔1965年 羽田空港〕

最後はT-6G、静浜基地の第15飛行教育団として1964年まで飛行していた機体です。静浜は、その後T-6G型からT-34Aになり、前項の第11飛行教育団となりました。撮影時の1965年、T-6型による飛行教育団は、すでに廃止され救難用の機体のみが残っているはずでしたが、この撮影後の間もなく調布飛行場に行っ際、飛行場の米軍エリア内に多くのT-6型(20機以上)が並べられており、この番号の機体も見ることができました。羽田で撮影できたのは、この要廃機となった機体を米軍に返還するための調布飛行場にフェリーする際だったと思われます。