Vol 47:アート・ショールとスーパー・チップマンク
2023/05/23 ピックアップ写真館最近は大きな話題となった映画「トップ・ガン・マーベリック」ですが、その第一作1986年公開の「トップ・ガン」と大いに関わりのある、伝説のアクロバテック・パイロットのア-ト・ショール (Authur Everett Scholl )を紹介し、他に映画関連でポール・マンツ(Albert Paul Mants)とトールマンツ・アビエーション社(Tallmantz Aviation)を紹介します。
アート・ショール(Art Scholl 1931-1985)は米国の曲技パイロット(Aerobatic, Stunt Pilot, Cameraman、instructor、A&P Mechanic(I.A)等)で、1950年代以降の多くの映画等で有名でした。1969年日本でのショーのため、自分のスーパー・チックマンク(N13A)を持ち込み、当時の富士急ハイランドで展示飛行を行い、私にとっても非常に思い出があります。最近の映画「トップ・ガン」のヒットで再び脚光を浴びていますが、彼の最後は第1作トップ・ガンの撮影に、ピッツS-2Aのカメラ装備機で、背面からのフラットスピンを行い回復できないまま、カリフォルニア沖の海面にクラッシュしています。映画でのグース中尉が乗ったF-14Aとほぼ同じ最後でした。
彼のスーパー・チップマンクは、デ・ハビランド・カナダ製DHC-1チップマンクがベースで、エンジンをパワーアップ、可変ピッチ・ペラとし、主翼を切り詰め、尾翼部のラダー、エレベーターの面積増加等、完全にアクロバット仕様に改造されたものでした。 このN13A機のあと、1970年頃から引込脚にしたN13Y機も追加し、こちらの方は現在ワシントンのスミソニアン博物館で展示されています。
ポール・マンツ(Paul Mantz 1903-1965)は、1920年代30年代から数々のエピソードを持ったスタントマン飛行士で、ハワード・ヒューズやアメリア・イアハート等とも親交をもち、ベンデックス・トロフィーでも3年連続優勝をとる等、高名なパイロットでしたが、最後は1965年の映画「飛べ!フェニックス」の撮影で、この撮影用に製作した特殊な機体、トールマンツフェニックスP-1機を撮影中に、砂漠の現場で機体を引っ掛け、クラッシュ死亡事故となりました。 なお、トールマンツ・アビエーションの共同経営者でもあったフランク・トールマンもその後の多くのハリウッド映画の撮影の飛行シーン等に参加していましたが、この13年後に別の飛行機事故で死亡しています。
私が直接知ることとなったのは、1974年カリフォルニアのデズニーランドに行った時、近くのオレンジカウンテイ空港(ジョンウェイン空港)に寄った際、脇にTollmantz Aviation 社があり、エプロンにはシネラマ撮影用に改造したB-25等が見られたこと、またハンガー内でハリウッド映画(華麗なるヒコーキ野郎等)の撮影で使用した多くの複葉機等が展示されていて、見ることができました。なお、最初のシネラマ映画撮影用に改造したB-25は機首部分の3台のカメラで真横位置まで撮影でき、映画館でも3台の映写機で再生する等大掛りなものでしたが、その後は70mm映画、現在のI-MAX等に変わっています。
DHC-1 s/n149 スーパー・チップマンク N13A
以下、全て1969年、羽田及び山梨県「富士急ハイランド」でのショーの演技です。
N13A 羽田空港、旧整備場のハンガーに到着した組み立て前の胴体部
機首、右手の人物はオーナーでもあり、組立の責任者でもあるアート・ショール(当時38歳)本人です。 なお、アート・ショールはA&PメカニックでIA (Inspection Authorization )保持者でもあり、日本で再組み立て後の耐空証明の確認もできます。
N13A 機首及び操縦席部分
EXPERIMENTALとChipmunk(しまりす)の絵、Pilot Art Scholl、WORLD AEROBATIC CAMPIONSHIP 1966 1968が記入されています。
N13A
ほぼ完成状態、機体は一人乗りのアクロバット専用機でした。
N13A
完成後の待機状態、未だレシプロのDC-3等も現役です。
N13A
富士急ハイランドでの展示飛行は、普段スケート場だったところで、離着陸に関しては使用せず、それほど遠くない自衛隊の滝が原飛行場を使用していました。
N13A
バックは富士山、まだ雪の残る4月頃だったと記憶しています。
N13A
アート・ショールの得意としている背面からのテープカットで、当時のオシコシでの展示飛行等でもオープニングでやっていたようです。
B-25N 44-30493 N9451Z Tallmantz Aviation(1974年 オレンジカウンテイ空港)
この機体はシネラマ撮影用に使用した2代目のB-25型で、この機体の近くに最初に使用したB-25H N1203機が置いてありましたが、機首分が無く、この機体に1971年頃からそっくり移設しています。 なお共同経営者でもあるFrannk Tallman氏自身は1978年に事故で死亡していますが、この機体は1980年頃までは残っていたようです。
B-25型を使用した撮影は、機首にシネラマ用の大型カメラ3台分も装備できたことと、機内の爆弾槽から360度撮影可能な大型のパノラマカメラを吊下げて撮影する等もしていました。
Stinson L-1 Vigilant 40-3102 N63230 Tallmantz Aviation(Orange County AP)
1941年製造のスティンソンL-1型ですが、その後売却され、現役時の軍用機塗装に戻り、最近でも飛行している記録がありました。
■文・写真 : 鈴木宣勝