ボーイング 747SR-46 20783/230 JA8119 日本航空(1977年 羽田京浜島)
2025/09/01 1970年代
この2025年8月12日で、日本航空 JA8119 ボーイング747SR機が 御巣鷹山に墜落してから40年になります。 事故原因については、再発防止を目的としたICAO基準による最終事故調査報告書が1987年6月19日付けで公表されており、製造国政府のNTSB他、海外の航空関係者からも、特別な問題等は指摘されてはいません。
しかし、日本国内では、一部のメディア関係者も含め、40年目を経た現在でも、陰謀論を含め、未だ、異論等が多く、当該事故調査での課題を含め、整理する必要があります。 最近、この一部の自衛隊が絡んだ陰謀論等に対しては国会でも質問され、大幅に変更し追加された「日本航空123便墜落事故」ウィキペデア(日本語版)でも取り上げられました、しかしその他の課題、内容的には、英文版Wikipedia「Japan Air Lines Fligt 123」、そちらを見ることを薦めます。 ここでは、ICAOで規定されている再発防止だけを目的としている事故調査等に限定し、40年目の今、課題等項目のみを列記します。
① 御巣鷹事故等の事故後1ヶ月以内等に公表される中間報告では、同型機の運行を継続するユーザー等に、再発防止を目的に当該事故に絡んだ処置が緊急に必要とするかの情報を与える目的があります。事故原因の暫定的解析であったとしても、特定機の特有の問題(作業ミス)と判断できるデータを、調査団のメンバーであるNTSB (製造国政府代表でアドバイザーとしてFAA及びボーイング社メンバーも参加) が公式に発表できなかったことは、今後も日本での課題と考えられます。結果的にNTSBがNYタイムス紙に非公式にリークし、これを受けて事故調査にFAAとともにNTSB 調査団のメンバーとして参加していた製造者であるボーイングが即座に自社の作業ミスによる責任であることを公表しましたが、公式の事故原因としての公表は、日本側のみの事情ともいえる、2年後の最終報告書の時点まで待たざるを得なかった経緯があります。
結果的には、最終報告書での事故原因に対しては、NTSB、FAA等、また海外の航空関係者等からも特に異論はでていませんが、ICAOでの再発防止の目的からは、発表のタイミング等の問題があり、事故の責任者追及の捜査のためとするならば、ICAO調査の趣旨からは外れるものとなります。
② 事故調査委員会は作業ミスの調査の過程で、ボーイング社に調査官を派遣しましたが、作業ミスを起こした当事者本人には会うことができず、責任を明確にできなかったことで最終事故報告書は70%の出来と言っています。 ボーイングは最初の時点から、明確に会社の作業ミスと表明しており、AOG作業の際で、どのような人を派遣するか、その際の資格、教育要件、本部との連絡等、すべて会社の組織体制の問題であって個人の責任では再発防止には寄与しないとする、海外での航空事故に対する一般的な考えです。
なお、最近のネット報道では、ボーイング社は日航機事故に関するページに、作業ミスが起きたのは、「二つに切った上下の圧力隔壁を繋ぐ際のプレートが上下の2枚のプレートになったのは、所定の位置に設置するのが難しく、2つに切り分けて設置しやすくした」と説明しており、FAAの公式サイトでも、圧力隔壁上部と交換した下半分部分を接続する際、一部にリベットのエッジマージンが不十分となることがわかり、改めて隔壁の上半分と下半分の間に連続的な荷重経路を提供するために、単一のスプライスプレートを挟み込んで使用する設計変更の図面が出されたが、実作業時には圧力隔壁はドーム状の3次元の局面を持っており、プレートを2枚に分けて使用され「隣接する構造物との複合的な湾曲のため設置が困難だったと」と記載されています。
③ 改めて、事故後40年目の今、前記の様に直接の事故原因は、実行場所が日本であったが、日本の会社JALによるオーダーで製造者のボーイングが作業を実施し、その型式証明(日本における耐空証明)の発行および維持を監督しているFAAの問題でもあったことは重要です。ICAO 国際条約のAnnex8により耐空性が証明されており、運用中に事故等が発生した場合には、Annex13に基づき事故調査がおこなわれ原因および対策が行われることで耐空性が維持されるとの整理で、事故調査の主体は発生国が行いますが、当該機の製造国も調査に参加し最終報告書に異論があれば併記するとされていること、また調査には航空機の設計および組み立てについて責任を有する組織を調査に参加させるべきとICAO Annex13で規定(5.20項)され、事故調査のためだけに使用するCVR,FDRの装備を義務付けていますが、日本では、利害関係者は調査に参加させるべきではない、CVRを一般公開にすべきだの訴訟等、国際条約とは異なる認識が多くあります。
④ これらの違いは、日本では戦後の民間旅客機としての製造経験がほとんど無く、官需としての飛行機の設計製造が殆どで発注者の承認を受けて行われるため、事故等の場合でも製造者としての責任は生じないこと等から、ICAO 要件が理解されないと考えます。
具体的な事例では、戦後のイギリスが国力を挙げて製造したコメット機の空中分解事故はキャビン圧による疲労破壊が原因でしたが、決して無視したものではなく、その後の大々的な再試験で確認できたものでした。また、747機になってからの事例でも、初期の機体等での胴体コックピット部外板付近からのエアリーク(セクション41大改修)、またJAL事故後92年に起きたエルアル747機のアムステルダムでの大事故は、エンジンを吊り下げているヒューズピンが疲労破壊で破断した原因でしたが、本来、一定の力では破断する設計で、疲労破壊は想定されておらず、即ジャンボ機948機に設計変更されたヒューズピン交換が行われ、最も典型的な、金属疲労対策の事例ともなっています。
御巣鷹機の事例も参考になりますが、本来のキャビン圧を止める圧力隔壁の疲労でした。