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ボーイング 747-100 19646/15 N739PA パンアメリカン航空(1986 年成田空港)

2025/09/08 1980年代

ボーイング747 初期の機体ですが、1988 年 12 月 21 日、ロンドンからニューヨーク行きの便(PA103)としてイギリスのロッカビー上空で爆破され搭乗者 246 名全員が死亡した、忘れてはならない事故でした。なお、当該事故は、機名でもある“Clipper Maid of the Sseas”としても知られており、PAA は太平洋路線を売却する 1985 年までは 747 による世界一周便を開設していたこともあり、成田でも見る機会は多くありました。事故の詳細等は、別のブログ(スズキエアワールド VOL08: 忘れてはいけない航空事故 PanAm103 便と UTA N54629)で詳細を述べていますが、どちらもリビア政府が絡んだ爆発物による航空事故であって、通常の預け入れスーツケース内に着替え等とともに詰め込まれた東芝の日本製ラジカセ内部に装着されたプラスチック爆薬(セムテック)が 747 前方貨物室のコンテナー内でセットされたタイマーにより高度 31.000feet の高度で爆発、空中分解し前部胴体は分離し、主翼と中央胴体部はロッカビー村のほぼ中央部に落下し大爆発、居住者 11 名を含む搭乗者 270 名全員が死亡した大惨事でした。

設定されたタイマーでは、ロンドンからの出発が約 30 分送れたことで、ロッカビー村上空で飛散、機内搭載物を含め、破片のかなりの部分が回収され、爆発物の痕跡等から、搭載されたスーツケース内が特定されリビアで販売されていたこと等からリビア政府の関係者を推定して手配し、1999 年になりリビア政府が容疑者の引渡しに応じ、オランダの国際司法裁判所で結審、リビア政府は犯人が情報関係者だったこともあり、遺族に対する賠償を含め莫大な賠償額(UTA 機分を含め当時 27 億ドル相当等)を支払ったとされています。

なお、この調査では、当該 PanAm 機が予定通りの時間ロンドンを離陸していたら、タイマーによる爆発時間は大西洋上空であり、機体破片の回収が不可能であった可能性、またロンドンから出発の遅れが 1 時間以上であったなら、まだ出発前の地上での爆発が想定され、それ以前の 1985 年 6 月、インドの過激派がエアインデイア機 2 機を空中爆破させようとして、カナダのバンクーバーで爆発物入りの手荷物として預け、トロント-ロンドン間のエアインデア 182 便が大西洋上空で爆発、テロ事件最大の犠牲者329 名であったが、ほぼ同時に成田発エアインデイア 301 便に搭乗予定として預けた手荷物がバンクーバーから到着空港での手荷物仕分け作業中に爆発したことで、作業員 2名が死亡し、当初成田空港の反対同盟によるテロと疑われていたものが、爆発物の詳細な鑑定の結果、爆破設定が大西洋上の 182 便の爆発時刻の 1 時間前で、同じ爆発物が搭載前に爆発したものと結論付けされました。

これらの経緯として、どちらも搭乗手続きを行い手荷物を預けていたが本人は搭乗していなかったが分かり、航空会社間でも厳しく規制されていましたが、このパンナム 103 便では、同じ便名でフランクフルトからロンドンまでの 727 機から NY までの 747 機に手荷物を乗せかえる際に、自社による本人が搭乗していないことの確認をしていなかったことが問題となり、結果的に、パンアメリカン航空破産のきっかけともなりました。