FIGHTER WORLD

戦闘機の世界


戦闘機の世界 Vol.25

2021/08/25 戦闘機

本項はF-105の続きで、ベトナム戦の最中1966年以降の頃の横田基地、迷彩塗装となったF-105です。

F-105D F-105F(24346、05376、38280、xx)〔1966年11月 入間基地〕

1966年11月、入間基地で開催された第1回国際航空宇宙ショー(日米が参加)に横田基地から参加したF-105 4機編隊の迷彩機です。横田基地はベトナム戦の後方基地としての性格であったため、1965年中ごろから外来機としての試験的な迷彩を施した機体を見ることができましたが、このときが迷彩塗装に変わった部隊としての初めての展示飛行でした。

F-105D 62-4324〔1965年 横田基地〕

初期に見られた迷彩塗装の外来機ですが、この機体は以前の部隊マーク(青帯に白の水玉)を残した迷彩となっています。なお記録では1966.1.20.タイのNakhon Phanom基地の南方(18km)で、エンジン故障で墜落、乗員以外で18名の死亡事故との記録がありました。

F-105F 63-8261〔1965年 横田基地〕

横田到着直後の外来機で、機首の帯が見られますが、記録では1964-67年が18th TFW所属となっています。ベトナム戦以降でも1977年から1984年間までは、本国の州空軍(AFR 466th TFS)で飛行しており、その後はCamp Robinson基地で保管されていたとの記録がありました。

F-105D 62-4259〔1967年 横田基地〕

横田R/W18側で着陸後です。この機体は現在でも、GeorgiaのWarner Robins Museum of Aviationで展示されており、その記録によると、67年から70年タイのTakhi基地355thTFWに所属、1972年以降は本国のAFRESで、507th TFW Tinker基地の他1983年まで飛行し、最後まで飛行していたF-105Dの1機だったとされています。

F-105F 63-8363〔1967年 横田基地〕

横田R/W18側着陸後のタキシングです。F-105のベトナム戦投入後に改造された箇所としては、前回アフターバーナーの使用頻度の大幅な増加に伴い後部胴体に、冷却用エアスクープを追加したと説明しましたが、もう一つの改造個所としては、この前部胴体左側、バルカン機関砲の銃身部後方には発射時の廃気ガスを逃がすためのパネルを取り付けています、如何に過酷な使用だったかが想像されます。

F-105D 62-4328(ZA)〔1967年 横田基地〕

カデナ基地配備であった12th TFS(ZA)所属機で、横田R/W36からの離陸です。

F-105F 63-8298(ZA)〔1968年 横田基地〕

カデナ基地所属でしたが、記録では1969年12月カデナアプローチ中に墜落しています。

F-105D 60-5381(GR)〔1967年 横田基地〕

横田基地所属(GR)でしたが、1969年6月ラオス上空で撃墜されています。

F-105D 61-0175(GR)〔1967年 横田基地〕

横田(GR)の後、本国への帰還後はKansas ANGで1978年まで飛行、その後テキサスのSheppard AFBで保管さていたとの記録がありました。

F-105D F-105F 〔1967年 横田基地〕

横田R/W18 東側で水戸射爆場へ行く前の離陸前点検を行うF-105FとF-105Dの4機です。 迷彩塗装機の標準的な塗装ですが、詳しく見ますと迷彩パターンは完全に一致した塗装はないことが分ります。