戦闘機の世界 Vol.21
2021/08/21 戦闘機本項では2019年12月1日、F-4EJ飛行隊発祥の地でもある百里基地での航空祭 (ラストファントム エアショー) が終わったこともあり、最初の時点1972年5月、百里基地で発足した臨時F-4EJ飛行隊の頃の様子を紹介したいと思います。臨時F-4EJ飛行隊は、翌1973年10月16日 F-4EJ初の飛行隊、第301飛行隊となり、その後は、1974年10月千歳で302飛行隊(11月から初アラート任務)が発足しています。百里での臨時F-4EJ飛行隊は、F-104Jに代わる初の全天候重戦闘機による各種試験的運用だったこともあり、部隊マークこそ書かれていませんでしたが、当時の主力機F-104Jに混じったそのフライトは興味深いものでした。但し運用中の1973年5月1日、飛行隊長尾崎二佐操縦の搭乗機 27-8304機が、F-4EJ初の事故機となったことが衝撃だったことで、今でも残念に思い出されます。なお、紹介する初期のF-4EJは、すべてマクダネル製(2機の輸入機及びその後37-8313までの三菱ノックダウン機)で、三菱製のライセンス生産機の37-8314以降の機体 (製造番号M11-001以降)とは異なり、型式名は、F-4EJ-45-MC等が正式名となります。
McDonnell F-4EJ-45-MC c/n4038 17-8301〔1972年 百里基地〕
右翼側に装備されているのは、航空自衛隊がF-4の基本装備とされていたAIM-4Dファルコンに変わる、F-4EJ用 XAAM-2空対空ミサイル(三菱重工及び技研本部)で、発射試験まで行っていましたが、ベトナム戦争終結でAIM-4Dの輸入が可能となり、コスト面からも1975年に開発段階で中止された国産AAMミサイルです。右翼の赤白のタンク状のものは、現在でも岐阜でのミサイル装備の試験時等で使用されているものと同様です。
McDonnell F-4EJ-45-MC c/n4038 17-8301〔1972年 百里基地〕
百里R/W03側、R/W21からの着陸時でドラッグシュート切り離し前です。なお、初期のフライトはこのようなノータンク、クリーン形態での飛行が多かったと記憶しています。
McDonnell F-4EJ-45-MC c/n4044 17-8302〔1972年 百里基地 〕
百里R/W03側でのタキシングで2号機です。なお、この1及び2号機のみマクダネル製完成機で輸入されたため、テールフックの注意書きは英文表記(DANGER等)となっており、3号機以降では三菱重工での塗装作業となるため日本語(危険等)の表示でした。
McDonnell F-4EJ-45-MC c/n4044 17-8302〔1972年 百里基地〕
百里R/W21からの離陸、302号機です。
McDonnell F-4EJ-45-MC c/n4055 27-8304〔1972年 百里基地 〕
マクダネル製、三菱重工によるノックダウン組立の304号機です。なお、この機体が1973.5.1、飛行隊長によるフライト中、鹿島灘で墜落し、行方不明となりました。
McDonnell F-4EJ-45-MC c/n4055 27-8304〔1973年 百里基地〕
304号機ですが、ミサイル装備として胴体下にAIM-7スパロー・ミサイル4発、主翼下にAIM-4D ファルコン・ミサイル4発が装備されています。
McDonnell F-4EJ-45-MC c/n4059 27-8305〔1973年 百里基地〕
305号機、百里R/W03からの離陸でAIM-4Dファルコン・ミサイル4発装備です。
なお、ファルコン装備のF-4EJは初期の頃のみで、その後はサイドワインダー装備が主流となりました。
McDonnell F-4EJ-45-MC c/n4082 37-8309〔1972年 百里基地〕
309号機、百里R/W03側からのタキシングです。
McDonnell F-4EJ-45-MC c/n4089 37-8310〔1973年 百里基地〕
310号機、百里R/W03側へのタキシングです。
McDonnell F-4EJ-47-MC c/n4203 37-8312〔1973年 百里基地〕
312号機、百里R/W21からのT&Gで、後方は当時の主力機F-104Jです。