戦闘機の世界 Vol.01
2021/08/01 戦闘機1964年 横田基地には、それまでのF-102戦闘機とB-57 爆撃機に代わりF-105戦闘機が3飛行隊(約50機超)配備され、1968年F-4Cファントム戦闘機に代わるまでの横田基地の主役でした。F-105は、マッハ2のスピードの単発、高性能の戦闘爆撃機であり、私の学生時代、通学時の山手線のホーム上からも、毎朝の離陸時のアフターバーナー音が聞こえて気になっていたこともあり、文字通りの雷オヤジ的存在で、そのスマートな形態からも、私が、飛行機が好きとなるきっかけとなった存在でした。また、F-105D型の生産数は600機程度でしたが、後継機となったF-4ファントムが5000機以上生産されたことに対し、配備時期がベトナム戦争の始まりと重なり初期のベトナム戦の主役となったことで、生産機の半数以上が戦闘等で失われており、悲劇の生涯を送った機体が多かったことからも、忘れられない機体です。
F-105D 61-0147 60-0415 61-0143〔1965年頃 横田基地〕
尾翼のTAC(Tactical Air Command)マークからも、横田基地所属のPAC(Pacific Air Command)ではない外来機ですが、週末等ではよく見ることができました。
手前の機体、10147(FH-147)と00415(FH-415)は、1966年5月及び1968年5月にベトナムで撃墜されました。後方の10143(FH-143)も、1967年11月 本国のカンサスで墜落したことが、記録に残っています。
F- 105D 61-0163 62-4405 XXXX〔1965年頃 横田基地〕
横田のR/Wエンドで出発前の点検を終えたところで、手前の10163機は、1965年11月ベトナムで撃墜されています。
F-105D 62-4281 62-4331 XXXX〔1965年頃 横田基地〕
横田基地、北側のR/Wエンドで点検する横田所属(PAC)のF105D、3機です。
横田所属きの区別は、尾翼マークと先端のアルファベット1文字、主翼付け根前縁の、3中隊で色分けした矢印マークでした。記録上は中央の24331が1966年12月ベトナムで撃墜されたとありました。
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横田基地北側から編隊着陸する、2機の横田所属機です。手前の24301(FH-301)は、配備直後の制式塗装で機首下方に部隊マークが記入されていました。
F-105F 63-8295〔1965年頃 横田基地〕
F105F型はF-105Dの複座型で、操縦練習にも使用できることで160機程度生産されましたが、横田所属機でもよく見ることができました。この機体も、1967年12月にベトナムで撃墜されています。
F-105F 63-8351〔1965年頃 横田基地〕
尾翼マークのTAC所属及び黒黄色のチェックの部隊マークから外来機ですが、横田では、一時期この目立った塗装からも、良く見ることができた部隊です。
写真でも、胴体下に模擬爆弾投下用ポット、両翼端に訓練用ロケット弾ポットを装備し、訓練に使用されていました。 なお、このF型は、ベトナム戦後も、電子戦用機(F105G)等に改装され、最後まで飛行していた型式で、この機体も最後はF-105G型となっています。