戦闘機の世界 Vol.02
2021/08/02 戦闘機現在、T-4による航空自衛隊ブルーインパルスの演技が航空祭での最大の人気となっています。 飛行機マニアの中でもブルーインパルスに徹して追っかけている人もいると聞いていますが、私は、学生時代に羽田空港で見た「天竜」時代が最初でした。演技の印象はなく、写真も全くありません。その後1964.10.10 新宿駅付近で見たオリンピック開会式の五輪マーク及びその後の編隊飛行は、今でも印象が強烈に残っています。 F-86Fは1982年T-2に代わるまで使用されましたが、以下に、F-86F時代の一部を紹介します。
ブルーインパルス F-86F時代
1984年10月10日、私が最初に撮ったブルーで、開会式で五輪マークを描いた後、都内上空を編隊飛行で戻る際のもので、手前の建物は、当時建設中の新宿駅前の京王デパートだったと記憶しています。
ブルーインパルス F-86F時代
松島基地での撮影ですが、現在のT-4ブルーとの主な違いは、飛行と関係ないウォークダウン等は無かったこと、演技は5機で尾翼のナンバーはなく、F-86Fは単座機だったことです。
ブルーインパルス F-86F時代
那覇基地での展示飛行の離陸ですが、4番機はダイアモンド編隊を組むために、離陸直後に先頭機の下方に回り込む動作をしています。
ブルーインパルス F-86F時代
ソロフライトによる超低空ローパスで、岐阜基地での公開です。
ブルーインパルス F-86F時代
ブルー全機5機による編隊飛行です。
ブルーインパルス F-86F時代
ブルーインパルスの演技を最初に見た1964.11.3の入間基地です。演技の際、このような増加タンク無しのフライトもありましたが、タンク付きでの演技が多かったと思います。
ブルーインパルス F-86F時代
岩国基地での演技後、海側の海上自衛隊エプロンに戻る際の撮影です。