戦闘機の世界 Vol.10
2021/08/10 戦闘機1971年10月、現在まで日本で唯一公開飛行を行ったF-4J ブルーエンジェルスは、Vol.03/04で、その一部を紹介しましたが、前回Vol.09で、ほぼ同時代の日本でのF-86Fブルーインパルスの演技を紹介しました。10月27日小牧基地へのフライインの様子、10月29日航空宇宙ショー招待日での最初の日本での演技、そして、その大迫力、想定外の騒音等の理由で途中中止となり、日本での最後の公式演技となった10月31日の演技の模様を紹介しますので、比較できたらと思います。なお、このF-4Jは、その後11月2日小牧から三沢基地へ行き、非公式の演技を関係者に公開しただけで、その後厚木基地経由で帰国しています。Blue AngelsのF-4Jは、1969年から1974年の間のみ使用されましたが、それ以前のF11F-1タイガー、この後のA-4 スカイホーク、現在の使用機F/A-18ホーネットと比較しても過去最大、最重量の機体であり、また日本で結一の演技が、住宅地が近い小牧基地だったこともあり、その後Blue Angelsの再度の来日は実現されていません。できるだけ、当時の演技等の記録を残しておきたいと思います。なお、写真の数が多くなり一度に紹介しきれないため、今回は1971年10月27日名古屋空港へのフライインの様子(この時は、翌日以降に控えた公開演技のための飛行場周辺の確認のための演技飛行を実施後着陸)を、次回のVol.11で10月29日及び10月31日の公開飛行の模様を2回に分けて紹介します。
F-4J Blue Angels〔その3〕1971年10月 小牧基地
名古屋空港到着時の最初は、6機の密集編隊のローパスからでした。
F-4J Blue Angels〔その3〕1971年10月 小牧基地
名古屋空港到着時の最初は、6機の密集編隊のローパスからでした。
F-4J Blue Angels〔その3〕1971年10月 小牧基地
2機のソロ機編隊(#5、#6)によるローパスで、アプローチコースですが民家も近く、低空で爆音もかなりのものであったと思われます。
F-4J Blue Angels〔その3〕1971年10月 小牧基地
2機のソロ機編隊(#5、#6)によるローパスで、アプローチコースですが民家も近く、低空で爆音もかなりのものであったと思われます。
F-4J Blue Angels〔その3〕1971年10月 小牧基地
ソロ機によるパスですが、アフターバーナー・オンで、且つ到着時であったことで、通常は使用しない主翼中央部後方のベントラインからの燃料放出が見られました。
F-4J Blue Angels〔その3〕1971年10月 小牧基地
ソロ機によるパスですが、アフターバーナー・オンで、且つ到着時であったことで、通常は使用しない主翼中央部後方のベントラインからの燃料放出が見られました。
F-4J Blue Angels〔その3〕1971年10月 小牧基地
ソロ5番機の着陸です。
F-4J Blue Angels〔その3〕1971年10月 小牧基地
最後は、チームの支援機 KC-130F 150670で、1970年から1973年の間、Blue Angels最初のC-130機 “Fat Albert“として知られていました。