FIGHTER WORLD

戦闘機の世界


戦闘機の世界 Vol.12

2021/08/12 戦闘機

既に、ブルーインパルスF-86Fセイバー等を紹介していますが、このF-86セイバーの後継機であった、F-100スーパーセイバーは、60年代の横田等で米軍の第一戦機とし見ることができていたので、紹介します。F-100は、ノースアメリカン社が開発した初の実用超音速戦闘機で、米軍の型式名F-100以降の最初のセンチュリーシリーズ戦闘機として1953年に初飛行、2.300.機程度製造されました。F-86セイバーの主翼後退角を35°から45°に変更、アフターバーナー付きのJ-57エンジンを装備、水平飛行でも音速を超える速度記録を作りましたが、大型レーダーが装備できなかったこと等もあり、戦闘機よりも戦闘爆撃機としての運用が主でした。初期のベトナム戦にも参加していますが、次項(その2)では、ベトナム戦、迷彩塗装機を、主に紹介したいと思います。

F-100D 55-3809〔1964年5月 厚木基地〕

1964年、厚木三軍記念日での展示機で、この機体は当時三沢基地の531st Fighter Squadronに所属です。以前はNATOのUSAFEに所属(赤いシェブロンマーク)にいた機体でしたが、1966年南ベトナム、メコンデルタ上空で撃墜されています。

F-100D 55-3724、55-3722〔1966年頃 横田基地〕

横田からの編隊離陸ですが、55-3722機は1969年南ベトナムで撃墜されましたが、55-3724機は、その後QF-100Dへ改造され1979年ごろまで使用されました。

F-100D 56-3167、56-3075、55-3558〔1965年頃 横田基地〕

1965年、横田基地、外来機としてのR/W36からの離陸ですが、後方に当時配属されたばかりの、多くのF-105が見られます。55-3075機は1969年ベトナムビエンホア付近で撃墜されています。

F-100F 56-3868〔1965年頃 横田基地〕

1965年、横田R/W18側から着陸するTAC所属機で、両主翼外側パイロンには、当時T-33A型等でも見られた、何らかの電子戦用ポットが装備されています。その後1974年頃には、GEORGIA ANG所属、最後はQF-100Fとして1979年まで使用されました。

F-100F 56-3914〔1965年頃 横田基地〕

65年横田R/W36からの着陸でTAC所属機です。この機体は1978年以降トルコ空軍で使用されています。

F-100D 56-3167 〔1965年頃 横田基地〕

横田R/W36の着陸TAC所属で、後方に見える赤白のハンガーは、当時横田でアラート任務に付いていたF-102A用のスクランブルハンガーです。

F-100F 56-3750〔1965年頃 横田基地〕

横田基地西側 R/W36からの着陸後です。1968年ベトナムで飛行中にエンジン停止、墜落しました。なお、当時F-100型の基本塗装は無塗装で、この角度から見る胴体後方、エンジン排気口廻り等の黒っぽい外板部は、チタニウムのスキン材で、F-100が初めて航空機用に多用したことの特徴と言われています。

F-100D 56-3336 TAC〔1964年 三沢基地〕

1964年初めて行った三沢基地、海側からの着陸です。三沢基地は射爆場が近くにあり、胴体下は模擬爆弾投下用ポット、主翼パイロンにはロケット弾装備です。

F-100F 56-3827 TAC〔1964年 三沢基地〕

爆装した複座型F-100Fです。なお、この機体は、1970年、ラオス上空で、AAAミサイルで撃墜されています。

F-100D 55-3814〔1964年 三沢基地〕

F-100型の通常形態は増槽タンク2本装備ですが、メンテナンスベースでもあった三沢では、このクリーン形態のF-100が見られました。なお、F-100型の超音速飛行はこのクリーン形態のみで可能だったと言われています。