FIGHTER WORLD

戦闘機の世界


戦闘機の世界 Vol.16

2021/08/16 戦闘機

ジェネラル・ダイナミックス社コンベア部門が開発1953年に初飛行(YF-102)したセンチュリ・シリーズの超音速戦闘機で、横田基地にも配備されていたこともあり、その独特な三角翼(デルタ翼)から、1960年代、最も親しんだ機体でもありました。日本へは1960年代、航空自衛隊によるスクランブル体制が整うまでの1965年頃まで、横田以外、板付、三沢にも迎撃戦闘機としてF-86Dに代わり配備されていました。当時の航空雑誌等をみて、その革新的とも言える胴体のエリアルールの採用、デルタ翼の採用等、エンジニアを夢見ていた少年にとっても、ただスマートさだけが取り柄の同世代機、F-104等よりも最も好きな飛行機でもありました。なお、F-102(その1)では、横田基地配備の機体を紹介し、その後に、ベトナム戦以降の迷彩機等を紹介します。

コンベア F-102A 55-3392〔1964年 横田基地〕

横田基地 R/W36 へ着陸する F-102A型で、着陸時デルタ翼特有の機首上げ姿勢、胴体下面の大型ウェポンベイの扉が分ります。F-102A の武装は、横田の前配備機 F-86D と同様、固定機銃は無く、このミサイルベイ内に AIM-4 ファルコン 空対空ミサイルと2.75inロケット弾24発が装備された全天候の迎撃戦闘機です。なお、横田基地に配備されていた F-86D の殆どは、その後日本の航空自衛隊で使用されていますが、F-102 は本機を含め殆どが、その後トルコ空軍に移管されています。

コンベア F-102A 55-3421〔1964年 横田基地〕

横田基地 R/W 36に編隊着陸するF-102A 2機です。F-102Aは、全長20mの大型機ですがデルタ翼特有の翌幅が狭い(11.6m)こともあり、このようなフォーメーション着陸が多く見られました。この機体も、その後トルコ空軍で1973年頃まで使用されました。

コンベア F-102A 55-3402〔1965年 厚木基地〕

1965年5月、厚木の三軍記念日で展示された横田基地所属(40FIS)機で、F-102Aは、この後間もなく横田から撤退しています。

コンベア F-102A 55-3402〔1965年 厚木基地〕

F-102A 前方からのショットです。風防を含め、すべてが三角といったデルタダガーの謂れが良く分かると思います。

コンベア TF-102A 56-2325〔1964年 横田基地〕

F-102A のデルタ翼特有の操縦性等の習得にこの複座型の練習機 TF-102Aが111機生産(F-102Aは875機)されましたが、サイドバイサイドの操縦席で太くなった機首のため水平飛行での超音速は不可能となっています。なお、この機体も、この後、トルコ空軍に売却されています。

コンベア F-102A 55-3421 55-3383〔1964年 横田基地〕

横田基地 R/W18 から着陸する2機です。なお、この2機とも、その後トルコ空軍で使用されました。

コンベア F-102A 55-3425 55-3412〔1964年 横田基地〕

横田 R/W36からの離陸で、アフターバーナーが見えます。なお、初期にあった横田基地所属の尾翼の部隊マーク(デビル)はこの時点では無くなっていますが、主翼両端境界層板外側の上下に巻かれた太い赤帯塗装は最後まで残っており、区別できました、またこの両機ともトルコ空軍機となっています。

コンベア F-102A〔1964年 横田基地〕

横田 R/W36 からのフォーメーション・ランデングです。

コンベア F-102A 55-3426〔1964年4月28日 横田基地〕

横田基地配備を含め、日本配備のF-102Aは、すべてスクランブル発進が目的で、専用のアラート・ハンガーが使用されていました。この着陸シーンは私が結一、目撃できた実際のスクランブル発進後の帰投時の様子で、詳細は別サイトsuzuki-airworld Vol.05 RB-47H 53-4290の項で説明していますが、1964年4月28日本海で銃撃されたRB-47H 偵察機を護衛して戻ってきたときのもので、滑走路が使用不能となり遼機(55-3416)と供に東側誘導路に着陸したときの様子です。

コンベア F-102A 55-3402〔1963年 横田基地〕

最後に、1965年 厚木で展示された機体( ③ ④ )と同じ機体ですが、横田配備初期(40FIS)の正規塗装時代で、尾翼にこのデビル(般若様)が描かれていました。