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❖ Vol.29 : BOAC ジェット旅客機の登場とジェット時代の始まり ❖

British Overseas Airways Corporation(BOAC 英国海外航空)は、1938年設立、1974年にBEA(英国欧州航空)と合併し、現在のBritish Airwaysになるまでの国営航空会社でした。 大英帝国の一翼を担う国策もあり、米国のパンアメリカン航空と並ぶ一大航空会社として、羽田でもユニークな航空会社でした。BOACは1953年英国が世界で初めて開発したジェット旅客機 コメット1型をヒースロー―羽田の定期路線に就航させましたが、翌年の1954年に続けて2機の空中分解事故が起こったことで、わずか半年余の運航で終わりました。このときの再発防止を目的とした事故原因の徹底的な調査及び、設計の見直しについては、ジェット旅客機の歴史を語るためには、非常に重要なことなので、改めて整理しておきたいと思います。事故当時の日本は、大戦後、GHQの「航空活動禁止令」が出され、あらゆる航空に関する教育、研究、実験等も禁じられていた時代の直後でした。1952年講和条約の発効により、この禁止令が解除されましたが、一般的には1951年日本航空がリース機を使用した運航、整備を除いた営業活動のみで民間航空再開とされていた事情もありました。コメットの事故原因は初めてのジェット旅客機として、それまでのレシプロ旅客機が飛び得なかった、高高度の成層圏を高速で飛行できること自体が要因でした。ジェットの大型爆撃機等で同様性能の機体は数多くあり、乗員が搭乗する部分のみ与圧されていたのを、乗客が搭乗する胴体の殆どを常に最大与圧(10.000mで約7psi)で飛行することの、新たな課題は当初考えられませんでした。空中分解は金属疲労によるものと考えられ試験が行われましたが、それ以前の旅客機ボーイング377や、DC-7と同様な客室窓であった、窓コーナー部分が、高い与圧により約3倍の応力集中があったこと、更に機体全体の破壊過程に至ることの確認として、それまで考えられなかった方法である、他のBOAC機で胴体すべてを大型水槽内に沈め、与圧荷重を掛けながら疲労試験を行った結果では、数か月かかると思われた試験が、3週間未満で破壊に至ったことが確認されたことが大きな成果でした。これらの試験には莫大な資金と人員、イギリスのRAE(Royal Aircraft Establishment )だけでなくダグラス社等も参加し、国家的事業(時のチャーチル首相の指示)として行われ、その後の機体設計に関し、応力集中及び亀裂が生じた後のフエイルセーフ構造に対し貢献したこと、その役割は非常に大きなものでした。ただし課題として日本では、当時これらの事故調査及び安全性向上に対する対応の学ぶ機会が無かったこと、最近での国内事故での事故対応に対する考え方の社会対応をみると、現在でも同様と思われます。日本の航空界の特徴として、戦後航空再開以降は、官需と区分けされる、国が発注する自衛隊機等の開発製造が主であって、民需部門はボーイング機等、図面に基づく製造部門のみの下請け作業等が主であったことから、民間機の開発に必要な、安全性に対する根本的な考え方の発想転換は、未だ課題が多いと考えられます。( 官需部門であれば、その運用形態を含めた特定の使用目的に合致すれば良いもので、必ずしも安全性だけが目標でないことから、当面の飛行目的が可能であれば、膨大なコストが生ずる試験、バックアップ等は必ずしも必要とされないからです。)